鷹の掲載句

主宰の今月の12句

宝珠

2024年6月号

入門破門風呂敷一つ門柳

家で靴脱ぐ民なればひなまつり

陶土練る板の厚みや桃の花

若芝に息を尖らすホイッスル

種芋や畑にまじる火山礫

牛角力逃げるが勝ちと負けにけり

芳草の雨粒のみな宝珠なす

花冷や南蛮船に北斗星

春窮や光背失せし仏の背

春泥に轍を残し離村せり

げんげ田にかがめば蜂の声しきり

群衆に目的地あり春の暮

今月の鷹誌から

推薦30句

2024年6月号

落つこちるやうに巣立てる一羽あり    

鶯巣てふ小さき船瀬の暮春かな      

檸檬忌のアンカット本手にかろき     

ぶらんこをざらりと摑み夜へ漕ぐ     

冴返る実印しまふ帰郷の荷        

風の道塞ぐ風車や鳥帰る         

錦手の鉢に治部煮や牡丹雪        

連翹や起業の夫の旅鞄          

鳥の巣や少年院の面会日         

会議後の小さな会議わらび餅       

目刺焼く母のかまぼこ指輪かな      

川波のひかりに残る寒さかな       

畳目を走るビー玉春障子         

身支度を急かされてゐる桜かな      

辛抱の口を開きし浅蜊かな        

加藤 静夫

布施 伊夜子

大石 香代子

内海 紀章

西嶋 景子

上田 鷲也

小熊 春江

小山 博子

野田 修

作田 きみどり

小籠 政子

押田 みほ

椎名 果歩

中野 悠美子

細田 義門

黄砂降る西の空より觔斗雲        

春の雪千歩踏み文出しに行く       

野遊や竹の割箸ちよつとエコ       

走る百歳泳ぐ百歳いかのぼり       

のどけさや破船だぶだぶ波を浴ぶ     

三月やライター残る乱れ籠        

雛に見入る日暮の母に声かけず 

崩れたる大地繕ふ春の草         

抱き起こす母なし春日窓に満つ      

春服やしゃらんしゃらんと散財す     

敷布干す母の背中やしやぼん玉      

クレソンや読んで楽しむ料理本      

出立の兄の饗応貽貝飯          

春の風邪海光の目にざらつける      

馬の背を越ゆれば他郷鳥雲に       

藤原 文珍

伊達 多喜子

山中 望

安西 円覚

古見 雪由

まつら 佳絵

水木余志子

薮野 忠行

佐竹 三佳

長岡 美帆

樫本 世貴子

仲間 春海

久保山 照子

越智 大地

山口 石祥

秀句の風景 小川軽舟

2024年6月号

錦手の鉢に治部煮や牡丹雪         小熊 春江

 金沢名物の治部煮はとろみをつけた鴨の煮物でこってりしたものだが、この句の味わいもこってりしている。色鮮やかな錦手の鉢となると、料亭の座敷で味わっているものか。雪見障子の向こうの庭に牡丹雪が降り積もる。錦手の印象が残ったまま牡丹雪の言葉が目に入ると、あでやかな牡丹の花のイメージまで喚起される。
名詞の素材だけでできた俳句なのに、情景がはっきり目に浮かび、情感も濃やかだ。素材のあっせんが俳句にとっていかに大事かがわかる句だと思う。

ぶらんこをざらりと摑み夜へ漕ぐ      内海 紀章

 寒さのゆるんだ春の夜だが、公園のぶらんこの鎖は冷たく、摑むとざらりと鈍い音を立てた。掌に赤い錆のつく感触もある。その両方を含んでの「ざらりと」である。
 内海さんらしい句だ。現代社会のありようと折り合いがつかず、挫折感にさいなまれながら、なお胸の内で反抗心の斧を磨いでいる。「花蔭にしみつく戦後見つめけり」と生きてきた作者なのだ。「夜へ漕ぐ」が読後の心に残る。まだ前へ漕ぎ出す気概は消え失せてはいない。しかし、ぶらんこをいくら漕いでもどこへも行き着かない。

風の道塞ぐ風車や鳥帰る          上田 鷲也

 日本の狭い国土で化石燃料にも原子力にも頼らずに必要な電気を得るには、どれほどの太陽光パネルを敷き、どれほどの風車を立てればよいのか。日本の未来のためだとわかっていても、日本の風景が変貌することに戸惑う気持が、この句の「風の道塞ぐ」に表れていると感じた。まるで日本列島に吹く風を一網打尽にするよう。その遥か上空で風を切って帰る鳥の姿が、地上の風車との対比を印象的なものにする。

連翹や起業の夫の旅鞄           小山 博子

 延長の動きが広がっているものの、日本の会社の定年は六十歳が主流だろう。しかし、あとは悠々自適という訳にはいかず、多くの人が働き続ける。少しでも老後の備えを残しておきたいという経済的な理由がまずあるが、夫が仕事もせず家にいる暮らしを迎えることに、夫も妻も不安を感じるという理由もあるらしい。もう少し積極的な気持のある人なら、自分はまだ働いて社会に貢献できるはずだという自負から働き続けたいと考える。この句の夫はそのタイプらしい。
 定年後に起業するシニアも少なくないと聞く。起業といってもITベンチャーの社長のような羽振りのよいものではない。旅鞄一つで営業し、自分の技術や経験を生かす仕事なのだ。それでもその暮らしが夫にとっても妻にとっても新鮮であることが、季語の明るさに表れている。

走る百歳泳ぐ百歳いかのぼり        安西 円覚

 マスターズ陸上という競技大会があって、年齢別にクラス分けして成績を競う。百メートル走の日本記録は、百歳クラスでは宮崎秀吉氏の二九・八三秒。この人は五年後に百五歳クラスで四二・二二秒を記録している。百歳で百メートルを疾走するためにどれほどの長い訓練が必要なのか。スポーツに汗を流す高齢アスリートの夢は「走る百歳」「泳ぐ百歳」なのだろう。
 いかのぼりの取り合わせが玄妙。私は句会で、糸が切れたらそのまま昇天しそうだと評して笑われたが、失礼なので取り消そう。読者それぞれに解釈して味わってほしい。

檸檬忌のアンカット本手にかろき      大石 香代子

 本の小口を裁断しない製本をアンカットと呼ぶ。古くは袋綴のページをペーパーナイフで切って読み進めた。本の天だけ裁断していないのが天アンカット。作者が詠んだのはどういう本か。今となっては贅沢な袋綴の稀覯本だろうか。
 私は古い文庫本の日焼けしてばさばさの天を思った。古書店で手にとると驚くほど軽い。岩波文庫や新潮文庫は今も天アンカットだが、紙の脂気の抜けたような古本がこの句には似合う。いつ買ったものか覚えていないが、私の書架に見つけた新潮文庫の『檸檬』も天アンカットだ。

畳目を走るビー玉春障子          椎名 果歩

 和室に箒をかけていたら、ビー玉が一つ転げ出た。子供が遊んだまま片隅に忘れられていたのだろう。畳目に沿って走るビー玉の動きと彩りが印象鮮明。こういう情景を見つけたら凝った言葉は必要ない。簡潔な写生で十分だ。障子越しの春の光の下で畳を走るビー玉の色が懐かしい。

鶯巣てふ小さき船瀬の暮春かな   布施 伊夜子

 宮崎のどこかに実在する小さな港なのだろうが調べるまでもない。ただ、この愛らしい地名から想像を膨らませるのがよいだろう。鶯は人目につかない藪の中にひっそりと巣を作る。そんな風情の港なのではないか。鶯巣と名づけた古人の心を思う。固有名詞の魅力で読ませる句だが、港ではなく船瀬と古語を用いたところが心憎い。