前主宰・藤田湘子について

「鷹」を創刊した藤田湘子をご紹介します。

「藤田湘子は大正15年(1926年)、小田原で生れました。
風光明媚な海沿いの町でのびのびと感性をはぐくんでいった湘子少年は、
十六歳の頃、「あたかかい寒月に照らしだされた桜の蕾」に詩心をひきつけられ、俳句をはじめるようになります。

十七歳で「馬酔木」に入会。近代俳句に外光性をもたらした水原秋櫻子のもとで俳句修行にうちこみます。
二十二歳の時には同じ「馬酔木」に所属していた石田波郷との出会いがありました。以来、波郷を兄のように慕いつつ、いっそう俳句に打ち込むことになります。水原秋櫻子と石田波郷、俳句史上にのこる二人の作家のもとで、湘子は俳人として大きく成長します。

湘子の修行の道は、まったく平坦であったわけではありません。師である秋櫻子との反目も経験しています。のちに作られた代表句「愛されずして沖遠く泳ぐなり」は、このときの鬱屈した気持がこめられているといいます。

その後発足した「鷹」の主宰として、湘子は飯島晴子を筆頭として、たくさんの弟子を育てました。俳人としての指導力は入門書の執筆にも発揮され、『20週俳句入門』(角川学芸出版)は、ロングセラーとなっています。

湘子自身の俳句を深化させた経験として欠かすことができないのは、昭和58年2月より61年までおこなわれた「一日十句」という試みです。一日にかならず十句以上の俳句を詠み「鷹」誌上に発表するというこの荒行は、同じように多作を実践した高浜虚子の見直しでもありました。

平成8年には結社活動のマンネリ化を打破すべく第二次「鷹」を発足、配合の手法の進化をねらった「二物衝撃」を基本理念に掲げます。これは、意味偏重による俳句の散文化傾向に対して、俳句の韻文性の回復をめざすものでもありました。

平成17年4月15日、湘子は亡くなりました。しかし、生前に残した男ぶりの力強い句と、二物衝撃を取り入れた画期的なメソッドは、今も「鷹」の内外に大きな影響を与え続けています。

藤田湘子の代表三十句

初暦真紅をもつて始まりぬ

日本に松と縄あり初詣

夕星のいきづきすでに冬ならず

うすらひは深山へかへる花の如

しだれつつこの世の花と咲きにけり

水草生ふ後朝のうた昔より

夕ぐれのづかづかと来し春の家

春夕好きな言葉を呼びあつめ

ゆくゆくはわが名も消えて春の暮

筍や雨粒ひとつふたつ百

揚羽より速し吉野の女学生

真青な中より実梅落ちにけり

口笛ひゆうとゴツホ死にたるは夏か

愛されずして沖遠く泳ぐなり

あめんぼと雨とあめんぼと雨と

両眼の開いて終りし昼寝かな

ゆふぞらの白鷺のみち魂迎

物音は一個にひとつ秋はじめ

葛飾や一弟子われに雁わたる

闊歩して詩人にならうねこじゃらし

気泡となりバンドの男帰る霧

鯉老いて真中を行く秋の暮

あかつきに雪降りし山神還る

七五三水の桑名の橋わたる

湯豆腐や死後に褒められようと思ふ

今を在る者が愛弟子冬木の芽

月下の猫ひらりと明日は寒からむ

枯山に鳥突きあたる夢の後

天山の夕空も見ず鷹老いぬ

死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ

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