鷹の掲載句

主宰の今月の12句

写真剝ぐ

2020年10月号

新涼や聞かぬ観光地

工場の鋸屋根の残暑かな

コンクリートの真冬の匂ひ原爆忌

盆波や町を旧道貫ける

雉鳩に呼ばるる母の墓参

一位垣めぐりて木戸や墓洗ふ

大楠とプラットホーム終戦日

写真剝ぐやうに八月また終る

ブラインド手折り秋日の街覗く

人里はさびしコスモス吹かれをり

落日を吹き消す風や西鶴忌

撫子や戻れぬ過去に背を押さる

今月の鷹誌から

推薦30句

2020年10月号

盆の灯の浅く流るる畳かな        

人抱けば血の重さあり旱の夜       

体ごと持つていかるるビールかな     

海女は肌濡るるをきらう夕立かな     

向日葵や不登校児を家で待つ       

墓地買ひて心弾まず走り梅雨       

海霧流れ鱗めきたる石畳         

家族の輪縮む線香花火かな        

カルピスの薄き家の子あせもの子     

はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ      

波音はいつも真つ新番屋閉づ       

白玉や人の常なる運不運         

三人の創刊号を曝しけり         

死にたがる女の寝息桜桃忌        

推敲に目覚める句あり夜の秋       

有澤 榠樝

兼城 雄

砂金 祐年

長谷 静寛

南 沙月

阿武 途峰

押田 みほ

𠮷田 稔

鈴木 之之

桐山 太志

川出 泰子

近藤 洋太

山内 基成

大野 潤治

二階堂 あき子

黄鶲や樹雨葉を打つ橅林         

翳りては照り蟬声を昂らす        

青蔦やモリス展にて待ち合はす      

潮待ちの纜きしむひかたかな       

腰の無き髪引つつめて蛍の夜       

湧水に蘞みや定家葛咲く         

朝市に買ふ赤紫蘇の大袋         

昼顔や自転車に鳴る道の砂        

奥利根の峡の棚田のあめんぼう      

大人買ひしたる漫画やソーダ水      

振売りの土用蜆や五条坂         

ルート66灼けしモーテルの看板      

夕凪の人魚坐りのをんなかな       

まくなぎに突つ込むシャドーボクシング  

梅雨明けし空がきょとんとしていたり   

儀賀 洋子

和田 妙子

後藤 有子

石黒 秀策

荻原 梗花

杉田 眞佐子

幸田 喜代子

荒谷 棗

小口 泰與

杉村 有紀

鬼界 時三

長岡 美帆

足立 守

菊竹 白水

梅木 千代子

秀句の風景 小川軽舟

2020年10月号

向日葵や不登校児を家で待つ        南 沙月

 十八歳以下の子どもの自殺が一年でいちばん多いのは九月一日だそうだ。あまりにわかりやすくて悲しくなる。さまざまな事情で学校に行きたくない子どもがいる。長い夏休みの後の登校はとりわけつらいのだ。
 子どもがつらければ親もつらい。掲句はもうすぐ夏休みという頃か。どうにか送り出した不登校児の帰りを家で待つ。あえて送り迎えはせず子どもの自発性にまかせたが、学校で無事に過ごしているだろうか。もしかすると学校に行かずにどこかで時間を潰し、下校時刻を見計らって家に帰ってくるかもしれない。それでも叱ってはいけない。精一杯明るく迎えてあげよう。季語の明るさがこの句の生命だ。
 南さんは句歴は浅いが八月に句集『水の羽』を出した。現代の若い女性が抱えがちな生きづらさを山ほど抱えた句集だ。けれどもどの句も季語が明るい。季語は南さんの生き方を励まし、それを読む読者をも励ますようだ。

三人の創刊号を曝しけり          山内 基成

 志を同じくする友人二人と出した同人誌。たった三人の薄っぺらな冊子だが、染みだらけの表紙に「創刊号」の文字が誇らしげだ。果たして何号続いたのだろう。雑誌の終わりが友情の、そして青春の終わりだったのかもしれない。あいつらはもう棄ててしまっただろうか。俺は持っているぞ。

海女は肌濡るるをきらう夕立かな      長谷 静寛

 濡れるのが商売の海女だから雨に濡れるのも気にしないだろうなどと思うのは間違っているのだ。海で濡れるのは仕事と割り切っているから平気なだけなのである。ひとたび陸に上がれば人一倍濡れるのを嫌がる。傍から見ればそこにほのかなおかしみがあり愛おしさがある。

振売りの土用蜆や五条坂          鬼海 時三

 新入会員を対象に七月に始めたランウェイ句会の一句である。ただし、句会では下五が「京の町」だった。出来ているからマルをつけたうえで、京都のどこか具体的な地名にするともっとよくなるだろうと句評を付した。それを出題と心得てあれこれ考えたのだろう。百点満点の答が返ってきた。

盆の灯の浅く流るる畳かな         有澤 榠樝

 畳に映る灯が浅い水の流れのように見える。畳目がそう感じさせるのだろう。岐阜提灯や走馬灯の灯ならば尚更である。そもそも盂蘭盆会の期間は死者を迎えて絶えず身の回りに水の流れを感じているような気がする。

黄鶲や樹雨葉を打つ橅林          儀賀 洋子

 一般に尉鶲を指す鶲は秋の季語だが、黄鶲は夏。霧の流れる樹間にその色鮮やかな姿を見出したのだろう。ぽたぽた落ちる霧の雫が橅の葉を揺らす。読者もその場の山気に触れるような臨場感のある自然詠である。

潮待ちの纜きしむひかたかな        石黒 秀策

 山本健吉は古くから漁師や船乗りに伝わる風の名を歳時記に取り入れることに積極的だった。ひかたとは日方。太陽のある南から吹く夏の風である。風に煽られた船の纜のきしみは、出航を控えて勇む船の昂りのようだ。

昼顔や自転車に鳴る道の砂         荒谷 棗

 忘れていた懐かしい感覚を呼び覚ましてくれる句だ。この句に似合うのはアスファルトで舗装していない道。日ざしが照りつける夏には、自転車のタイヤの砂をじりじり鳴らす音がいっそう耳に纏わりつく。中七下五に実感があるから、昼顔もいかにも昼顔らしい風情で所を得ている。

青蔦やモリス展にて待ち合はす       後藤 有子

 ウィリアム・モリスは十九世紀イギリスの詩人だが、自然を題材に手仕事の美しさを生かしたインテリアデザインで名高い。この句は青蔦がモリスの壁紙のデザインを連想させるて好もしい取り合わせ。会場の美術館もモリス展にふさわしい佇まいなのだろう。

カルピスの薄き家の子あせもの子      鈴木 之之

 若者の間で昭和のレトロな風物が人気なのだそうである。私の息子と娘も旅先で「○○昭和館」などという施設に入って目を輝かせていた。鈴木君も平成生まれの若者なのだが、この句は私が生まれた昭和三十年代の庶民の家の子どもの哀感を泣けてくるほどのリアルさで描き出している。

体ごと持つていかるるビールかな      砂金 祐年

 乾杯して飲み干す最初の一杯のビール。息をするのももどかしくぐいぐいやり、グラスを置いて「ぷはーっ」と言葉にならない声を上げる。あの時の感じはまさしく「体ごと持つていかるる」だ。それがわからぬ人は人生を損している。コロナ禍でこういう場面から遠ざかったのは寂しい限り。