鷹の掲載句

主宰の今月の12句

終電の後の駅前猫の恋

夜の梅閨怨の窓細く

仲春や妻の出てこぬ百貨店

柳刃より細き鱵をさばきけり

剝き出しの青空見上げ卒業す

からからと旗降ろさるる日永かな

岩石に地球の歴史雪解川

鯉よぎる水中もまた朧にて

夙川の松風高し朝桜

桜咲く母校ならねどなつかしく

三鬼忌や給仕の腋の汗ばめる

四月一日名告らざる嘘拡散す

(「俳句」四月号発表句を含む)

今月の鷹誌から

推薦30句

春の星この世限りの名を告ぐる

春宵の指揮者は翼ひろげたり

包丁の重きを恃む寒の明

過去忘れ未来想はずチューリップ 

山焼の匂ふ華厳の闇深し 

牡蠣フライさくつとさくら少し先

うすらひの溶けたる魚のなみだかな

啓蟄や全一巻に国滅ぶ 

自転車で届けるゲラや木の芽風

忌はしきもの祀る碑や黄沙ふる

死にたればケシケシ山の東風とならむ 

春昼の鳩の駕籠舁き歩きかな

薄氷や工事現場の猫に朝 

春暁のつめたき釦ひとつひとつ

初旅や眼下の雲に茜さす

奥坂 まや

志賀 佳世子

永島 靖子

景山 而遊

桐山 太志

喜納 とし子

佐竹 三佳

伊藤 ゲンソウ

亜灯 りりな

佐藤 紫

近藤 洋太

富永 のりこ

長澤 綾子

川原 風人

河野 道子

陰口のぴたりと止まる春障子

肘ついてがたつく卓や納税期 

働いて働いて死ぬカキフライ

春手套船尾に夜景惜みけり

半分で勘弁願ふ年の豆

残りたる名刺を焼べぬ春焚火 

鳴り響く祖堂の太鼓山笑ふ

船便で届く画集や春の雨 

春の夜の水族館の水の澱 

挿木して自分に作る未来かな

電停の前のバス停桜咲く 

駆くる子に杖つく我に風光る

湯殿より薄衣まとひ清盛忌

人形に蘇生を学ぶ遅日かな

風が雨雨が風よび椿落つ

越山 やよひ

橋爪 きひえ

大野 潤治

中山 智津子

香取 一郎

宮本 八奈

岡庭 浩子

中島 幸子

島田 みづ代

𠮷田 小威子

光吉 五六

末次 照正

大山 紺夜

荒木 山彦

新名 和子

秀句の風景 小川軽舟

春の星この世限りの名を告ぐる 奥坂 まや

 気宇の大きな恋の歌だ。万葉集は若菜を摘む娘に「名告らさね」と求婚する雄略天皇御製の歌に始まる。それを踏まえればこの句の「名を告ぐる」とは求婚に応じることを意味している。その名が「この世限り」のものだと見極めたところにこの句の大きさがある。夜空の星の数のように私の存在には無限の可能性がある。仏教ならばそれを輪廻転生と呼ぶのだろう。だからこそ今ここでこの世限りの私の名を告げることが、一つの奇跡として明星のように輝くのだ。
 蛇足になりそうだが、大ヒットしたアニメ映画「君の名は。」は時空を越えて出会った若い男女の物語だった。一度は互いの名を忘れて離ればなれになる。その二人が現代の東京で再び巡り会って「君の名は。」と尋ね合うラストシーンは、この句につながっているように思う。

山焼の匂ふ華厳の闇深し 桐山 太志

 「華厳の闇」が荘重でよい。華厳経は民衆に布教するためのものではなく、僧侶が仏の世界観を学び究めるためのものである。だから念仏を唱えれば救われるというような近づきやすさはない。「華厳の闇」にはこの世の一切の真理を蔵して修行者を迎える厳めしさがある。奈良仏教を代表する華厳宗の総本山が東大寺。ならば山焼は若草山か。

うすらひの溶けたる魚のなみだかな  佐竹 三佳

 薄氷の溶けた水面を見ている。溶けてしまえばただの水面なのだが、心なしか薄氷の名残に潤んでいるように見える。その印象が春の水にみひらかれて潤んだ魚の目を連想させたのだ。この句には無理な筋立てを考えず、ただその二つのイメージの触発し合うさまを味わえばよかろう。そのうえで芭蕉の奥の細道出立の句、「行春や鳥啼魚の目は泪」の惜春の情を重ねてみよう。

牡蠣フライさくつとさくら少し先  喜納 とし子

冬が終わり春が来る。季節の入れ替わりの実感を軽快に捉えた。牡蠣フライの季節もそろそろ終わりかと思う季節感に桜が咲くのはまだ少し先かと思う季節感がちょうど重なるという発見が楽しい。そしてその楽しさを調べで味わわせるのがこの句の魅力だ。

啓蟄や全一巻に国滅ぶ 伊藤 ゲンソウ

 『ローマ帝国衰亡史』は全一巻では済まないが、これも繁栄の後に滅びたどこかの国なのだろう。「全一巻」が利いている。かなり分厚い一巻だが、それでも一巻で滅んでしまうことに無常がある。国は滅んでも民はたくましく生き残る。啓蟄の季語にそんなメッセージを感じた。

忌はしきもの祀る碑や黄沙ふる  佐藤 紫

 立派な石碑が立っている。それを「忌はしきもの祀る」と断じたところに驚かされる。考えてみればそういうことは実際にありそうだ。戦争にまつわる石碑などもそうだろう。祀られた者の栄誉は多くの無名の者の犠牲に支えられている。忌々しく思えば思うほど、石碑は無言のまま揺るぎなく立ちはだかる。

船便で届く画集や春の雨 中島 幸子

 ずっしりと重い画集であることが想像される。海外の書店に注文したのか、旅先の美術館で買ったのか。何ヶ月もかかって、春雨の日本のわが家にようやく届いた。アマゾンで買った本が次の日には届く便利な世の中になったが、この句には船便に要した時間をも楽しんでいる感じがある。梱包を解くと海の向こうの匂いがする。

電停の前のバス停桜咲く 光吉 五六

 地方都市の様子がパッと目に浮かぶ句だ。電停は路面電車の停留所。大通りの安全地帯に設けられている。その大通りの路傍には舗道に据えたバス停がある。市電もバスも市民の足として行き交う。桜の咲く頃、入学の子供を連れた母親の姿も見えるようだ。

挿木して自分に作る未来かな  𠮷田 小威子

 未来を作るという発想がおもしろい。若い人には若い人の未来があり、老いた人には老いた人の未来がある。若い人は未来のあることが当たり前なのでそこでどう自己実現するかを考える。しかし、残り時間を意識する年齢になると、未来は意識して作るものになっていく。挿木が根づいていつか花や実をつけるのを楽しみに待つ。それも自分のために未来を作ることなのだ。