鷹の掲載句

主宰の今月の12句

下界

2020年1月号

山荘のフランス窓に焚火映ゆ

トランプで遊ぶ手が見え山眠る

隼や飛行機雲と斜交ひに

蕎麦刈やソーラパネル越しに富士

灯台に海平らなり神の旅

真向かへば凩に耳引つぱらる

ぬくさうに下界ありけり冬安居

隙間風嫌がつてをり座敷犬

湯上りの素つ首白し隙間風

浅漬の昆布のぬめりに箸あそぶ

すき焼の菜箸仲居まかせなり

狸らも肘振りて唄へや寮歌

(「俳句αあるふぁ」冬号発表句を含む)

今月の鷹誌から

推薦30句

2020年1月号

凍蝶の翅の鋭く欠けてをり

石据ゑて松の落ち着く子規忌かな

鏡一枚吊して小部屋冬ゐすわる

鳥の声散らかる午後や松手入 

防弾チョッキ重く帯びたる夜食かな

蠟燭を吹き消す濡れ場西鶴忌

虫の音に手足が先に睡りけり

まだ温みある衣被雨籠り 

秋高し車詰まりしジャンクション

命消えし肉体重し冬の月

三日月の走る野分の吹き返し

ベタなとこベタに観光秋暑し

葈耳を胸に飾りて甲子雄恋ふ

目をとぢて日比谷の秋に親しめり

地球儀を祖国に止める夜学生 

兼城 雄

中嶋 夕貴

榊原 伊美

柏倉 健介

濱田 ふゆ

志田 千惠

辻内 京子

明地 敬子

福永 檀

加茂 樹

亀田 蒼石

佐藤 栄利子

瀬下 坐髙

小籠 政子

折勝 家鴨

虫籠や雨に潤める窓硝子

避難所の裸電球壜に菊

使はせてもらふ近道柿の秋 

秋の影太平洋の彼方より

大楠の大いなる闇城の月

野分去る雀少なくなりにけり

冬待つや風に日差しに烏賊干して

明日来ることの明るさ今年米

ファミレスに眠る塾の子秋深し

下宿屋の跡形もなし夕化粧 

父母の思ひ出淡し胡桃菓子

深海の色のカクテル星月夜

屋根覆ふブルーシートに月冴ゆる

一葉落つ長良さんの立姿

田仕舞や藁火つつめる闇豊か

大井 さち子

野尻 寿康

藤澤 憼子

松岡 雲辺

山口 安規子

土門 緋沙子

浅沼 三奈子

天野 浩美

笹木 れい子

栗山 純臣

那珂 正

大西 和子

多田 芳子

足立 守

尾形 忍

秀句の風景 小川軽舟

2020年1月号

凍蝶の翅の鋭く欠けてをり  兼城 雄

 簡潔な内容だが、簡潔だからこそ「鋭く」の形容に作者の驚きが感じられる。擦り切れてぼろぼろになった翅ではない。鋭く欠けた箇所以外は完璧なのだ。
 蝶は種類によって卵、幼虫、蛹、成虫などさまざまな形態で越冬する。成虫で越冬する立羽蝶の仲間ならば冬に見かけることもあるだろう。しかし、掲句の蝶に、越冬に耐えるふてぶてしさはない。蛹で越冬する紋白蝶が、温かな日ざしに誘われてうっかり羽化してしまい、再び凍える日を迎えたという風情である。もはや取り返しはつかない。厳しい断念の
の「鋭く」なのだ。写生の目は効いているが、作者の心理も色濃く投影されている。

命消えし肉体重し冬の月 加茂 樹

 命のある肉体は、自分の意志で動くことができる。重力に抗して立ち上がり、跳ねたり、走ったりすることもできる。ところが、命が消えた途端、その重量をなすすべもなく放り出した物体に過ぎなくなる。作者は医師だから、それを理屈ではなく経験として理解しているのだろう。
 他方で、命の消えたはかない亡骸という観念が私たちの頭には棲みついている。だから、この「重し」のなまなましい断定は、予想を裏切ってずしりと響く。重力のなすがままにそこに横たわるしかない肉体の悲しい存在感。野ざらしの死体でもあるまいし、冬の月の配合に無理がないわけではないが、上五中七の厳しい現実は、この配合を得て再び観念へ昇華されるように思われる。

石据ゑて松の落ち着く子規忌かな  中嶋 夕貴

 ちょっと変わった子規忌の句なのが目を引いた。庭に松がある。その傍らに石が据えられて、松の風姿が様になる。松だけが立派でもだめなのだ。さまざまな脇役があって初めて庭の眺めが出来上がる。短命の子規の志を受け継いで俳句を隆盛に導いた子規一門の姿がそこに重なるようだ。

防弾チョッキ重く帯びたる夜食かな 濱田 ふゆ

 夜食と夜業は近しい季語である。秋の夜長に仕事をする。そのうち腹が減るから何か食べる。夜業を夜鍋と呼ぶのも両者の近しさを示すものだ。
時代が移れば夜業の形態も変わる。それに伴いさまざまな夜食の風景も生まれる。掲句はそこを素早く掬いあげた。来日した要人の警護に、あるいはテロの防止に、防弾チョッキで身を固めたまま夜通し警備にあたる。夜食も防弾チョッキを着たままだ。「重く帯びたる」に疲労と緊張がにじむ。

虫籠や雨に潤める窓硝子 大井 さち子

 虫籠の情趣がよく汲みだされた句だ。秋の季語としての虫籠の句、これが案外少ないのである。「季語別鷹俳句集」アプリで虫籠の用例を検索しても、かぶと虫の虫籠の句が一句あるだけ。鳴く虫を飼う虫籠の句はなかった。
 掲句はその虫籠に余計な修飾を加えていないのがよい。雨夜の窓硝子だけを配して、虫籠の様子は本意の導くに任せたのである。私にはのびやかな鈴虫の声が聞こえてきた。

目をとぢて日比谷の秋に親しめり 小籠 政子

 一読して日比谷公園のベンチに座る作者の姿が目に浮かんだ。穏やかな日差しに木々の黄落が映える。目を閉じても明るさは失せず、ひややかな空気が鼻腔に快い。作者は日比谷に勤めるなどして、かつて日比谷になじんだ経験があるのではなかろうか。目を閉じて感じる日比谷に、懐旧の念が纏わるように思われるのである。

三日月の走る野分の吹き返し 亀田 蒼石

 いったん収まったと思った風が、向きを変えてまた吹きつのる。天気予報で台風の渦を見知った私たちは、その道理を理解できる。しかし、台風を野分と呼んだ古の人々は、ただ怯えることしかできなかったろう。嵐の中を三日月が走る。その誇張された表現が、野分に対する畏怖を甦らせる。

父母の思ひ出淡し胡桃菓子 那珂 正

 胡桃は秋の季語だが、胡桃菓子は一年中ある。この句に秋の季感があるのかと疑問を持つ人もいるかもしれない。しかし、季語は作者と読者が共有する言葉の約束である。作者が秋の季語として胡桃を提示するならば、読者もそれを秋の句だと受け容れて味わえばよい。和菓子でも洋菓子でも、どんな菓子を想像しようと読者の自由だが、私は洋菓子のバターの甘い香りとともにこの句の郷愁に浸ってみた。

鏡一枚吊して小部屋冬ゐすわる 榊原 伊美

 具体的な事情は述べられていないが、他から隔絶された小部屋だという感じがある。殺風景なまでに何もない部屋の壁に鏡だけが掛かり、何もない部屋を映している。これは作者の心の中の小部屋なのかもしれない。そこに呼びもしない冬が居座っているのである。