鷹の掲載句

主宰の今月の12句

樹齢

2025年7月号

これと言ふ職業もなし初燕

行く春や固定電話に電話線

ひと摑みビー玉軋る夏近し

もりもりとめりめりと棕櫚咲きにけり

菖蒲湯の家長単身赴任終ふ

銭湯や菖蒲の影に足のばす

仕舞湯の母にも菖蒲なほ青し

五百年なる若葉風  

四方に湧く鳥を聴き分け夏蕨

雨蛙山河青しと身を投ず

水芭蕉太陽冷えて沈みけり

山若葉熟睡すれば朝近し

(「俳句四季」六月号、「俳句界」七月号発表句を含む)

今月の鷹誌から

推薦30句

2025年7月号

蛙鳴くこの死顔は母ではない    

海深き虚子の硯や若楓        

人間に捨てられし家桜の実      

塊割に飛びたる小石山桜      

辛抱を妻に説きをり木の芽和     

骨拾ふ椿の山を思ひつつ      

月光に五代の墓や老桜     

昭和の日しやもじに飯がくつつきぬ 

天に順ふ桜の咲くも我が散るも   

春闘で知り合ひし妻貧なげく      

ひとりが楽春風耳打のごとく     

武者震ひして若鮎の上りけり    

花冷や父逝き母に麦粒腫    

陽炎の集ふ巨石や奥熊野      

しほまねき潮満ちたれば影もなく 

奥坂 まや

黒澤 あき緒

辻内 京子

宮木 登美江

中山 玄彦

大井 さち子

鳥海 壮六

阿部 千保子

千乃 じゆん

瀬下 坐髙

田上 比呂美

山岸 文明

吉井 美朝

林山 任昂

平山 南骨

古着屋の古着の呼吸月おぼろ   

大干潟夕日ずぶずぶ落ちゆけり   

風の背を滑る鵯雛納         

教会の母子室若葉風入るる        

国境を揺さ振る男万愚節         

動かざるものの影ゆれ薪能        

アレッポの石鹸の泡春の暮        

落椿雨に朽ちゆく炯炯と         

閑職を日差と思ふ桜かな         

ヨーカドー跡陽炎の群生地        

反物は投げて広げて桃の花        

ひとり酌むかつをのたたき二人前     

瑠璃蜥蜴も少し墓の傍にゐむ       

振り向けば霞のかごめかごめかな     

さしかくる傘のしづくや蛍舟       

加藤 又三郎

前原 正嗣

林田 美音

日髙まりも

山本 邦子

和泉 明来

各務 みさ

喜多島 啓子

東 鵠鳴

佐藤 直哉

富永 のりこ

小笠原 英子

古田 いづみ

長尾 たか子

竹石 末子

秀句の風景 小川軽舟

2025年7月号

天に順ふ桜の咲くも我が散るも  千乃 じゆん

 この世のすべては天に定められている。「天にふ」という措辞は、孟子の「順天者存、逆天者亡(天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ)」から引いたものか。孟子は為政者の心得を説いたのだが、掲句はそれを日本の自然に、そして我が身に引きつけて、万物の造物主としての天を詠う。芭蕉が「造化にしたがひ、造化にかへれ」と唱えた造化随順の思想に通い合うものがあろう。散る桜は戦死を賛美した軍国主義を想起させもするが、掲句はその不幸なイメージの呪縛を解き、天に順うやすけさをわだかまりなく受け容れることのできる時代が来たことを詠っているのだ。

海深き虚子の硯や若楓    黒澤 あき緒

 硯の墨を磨る部分を、墨を溜める部分を海と呼ぶ。この句は鎌倉虚子立子記念館での嘱目吟。高浜虚子旧蔵の大きな硯があった。虚子の大硯ぐらいなら誰でも言えそうだが、この句の手柄は「海深き」である。これが虚子という人物の深さ、その作品世界の深さを連想させるからだ。取り合わせた若楓も窓の外の嘱目だろう。どっしりと落ち着いた硯に対して、そのみずみずしさが印象的だ。虚子の底知れない内面の深みから生まれる俳句は、老いてなお若々しい探求心に満ちていた。そんなことも思い起こさせる取り合わせだ。
美術館、博物館、記念館の類で吟行する機会も多い。見た物を通してその背後にある精神にどこまで迫れるか。それは結局、作者が何を見るかにかかっている。

月光に五代の墓や老桜     鳥海 壮六

 某氏代々の墓などというものは各地にあることと思うが、作者が小田原の人となれば、これは豊臣秀吉の小田原攻めに遭うまでこの地に勢力を張った早雲を初代とする北条五代の墓だろうと想像できる。場所は早雲寺だ。桜の老木の咲き盛る傍らで月光を浴びて居並ぶ墓は、戦国の世の息吹を感じさせて厳かである。この寺に湘子先生が眠っていることもなつかしく思われる。

武者震ひして若鮎の上りけり 山岸 文明

 海で産まれた若鮎は川を遡って清流に育つ。急流に負けじと全身を震わせて遡上する姿を「武者震ひして」と擬人化したのが、若武者の初陣のようで晴れやかだ。作者の居住地から想像するに狩野川だろうか。写生する時間をたっぷりかけた後にふいに降ってきた表現だと思えた。

国境を揺さ振る男万愚節          山本 邦子

 トランプ大統領を詠んだ句は「鷹」の投句にも散見されるが、ニュースをなぞった感をぬぐえない。それに比べて、アメリカと国境を隔てて地続きのカナダに暮らす作者の句には、不安感と不快感がなまなましい。「揺さ振る」には国境を鷲摑みにして破ろうとしているかのごとき暴力的な迫力がある。万愚節の取り合わせは、この男の言うことは何一つ信じられないという不信感の表明なのだろう。

アレッポの石鹸の泡春の暮         各務 みさ

 アレッポの石鹸は私も一度興味を引かれて使ったことがある。オリーブ油を主原料に伝統的な製法で作られた無添加の石鹸だ。こだわりの石鹸をたっぷり泡立てるところに、自分らしさを求める暮らしの充実感がある。アレッポという古代から続く地名の異国情緒もこの句の春の暮にふさわしい。一方で、アレッポはアサド政権崩壊に到ったシリア内戦の舞台でもあった。作者はもちろんそのことも知った上で、遠い彼の地を思いつつ今宵も石鹸を泡立てるのだ。

花冷や父逝き母に麦粒腫         吉井 美朝

 父を亡くした花冷の日、泣き腫らした母の目に麦粒腫ができた。泣きっ面に蜂である。眼帯をして喪主が務まるのかと気に病む母を慰め、励ます。麦粒腫はいずれ治るし、父を亡くした悲しみもやがて癒えてゆくのだろう。母の麦粒腫も家族の思い出の中の笑い話の一つになる。悲しみのさなかにどこかほのぼのとした市井の哀歓を感じさせる句だった。

閑職を日差と思ふ桜かな          東 鵠鳴

 たいした責任も仕事もなく、席を温めるためだけに出勤する。春の人事異動でここに落ち着いたのだろう。窓の外に桜が見える。「日差と思ふ」に作者のあきらめにも似た平穏がある。働きづめの人生だったのだ。余生の一歩手前で、ようやくほっと息をつける時が来た。悔しさや寂しさを心の隅に片づけてしまえば、麗かな日差が作者の今に差し込む。

瑠璃蜥蜴も少し墓の傍にゐむ        古田 いづみ

 日盛りの墓参り。線香をあげ、日傘のまましゃがんでしばし故人と語らう。腰を上げようとしたら墓石に瑠璃蜥蜴が現れたらしい。それに促されるように、もう少し墓の傍にいようと思った。「も少し」に飾らない親しさがある。現代の口語かと思ったら、江戸時代から用例がある。