鷹の掲載句

主宰の今月の12句

変らないな

2025年9月号

引越して二度目の床屋花は葉に

もう行けぬ社員食堂更衣

横顔のための窓美し蔦若葉

姫女苑この国好きになりたるや

干拓に痩せたる沼や梅雨鯰

湯の花を沈め湯の澄む青葉かな

日覆を伸べて道まで茶碗売る

目地に黴赤きありきあり

妻帰る日暮待ちをり額の花

カーテンをまさぐる風や明易し

変らないなと老人同士鱧食ひに

すもも買ふ隣も孤老セルフレジ

今月の鷹誌から

推薦30句

2025年9月号

茅舎忌の樹頭にひらく花あまた      

一日のはじめ詩集とさくらんぼ      

生き鮎の鰓を貫く笹青し         

さん付けの神や仏や田水沸く       

舟渡御の白輿波をかぶりけり       

飛行機になりたかつた子夏の雲      

雨粒に弾ける胞子青山河         

遠き日の伝言板やソーダ水        

バリケードテープ二重や梅雨の家     

カタログの鰻に母の二重丸        

美味いもの食はすと銀座路地薄暑     

骨董に有り金叩く鉾祭          

掌中の戦火の動画朝曇          

酒臭き朝焼渋谷センター街        

早苗饗や赤いクボタに油差す       

布施 伊夜子

永島 靖子

加賀 東鷭

桐山 太志

氣多 驚子

亀田 浩世

平山 南骨

阿部 けい子

米熊 鬼子

西山 朝子

國吉 洋子

千乃 じゆん

斉田 多恵

大野 潤治

山内 基成

東京が流れゆくなり冷房車        

交換手でしたと佳人水を打つ       

こどもの日怖い顔して歯を磨く      

焚き付けの小枝拾ふもキャンプかな    

たつぷりの髪わづらはし白桃忌      

十薬や実家を灯す日曜日         

アザーンに犬の遠吠え夏の霧       

雨匂う粘菌の杜夕蛍           

長嶋逝く父の遺影に冷し酒        

山に紗をかけゆく雨や草苺        

な家の犬がベロ出すバルコニー     

火を囲むサーフボードを砂に立て     

白南風や次の現場へチャリを漕ぐ     

塩もみの茄子一本の昼餉かな       

天山ゆく隊商に似て蟻の列        

井上 宰子

大岡 吉一郎

東 鵠鳴

河村 笑

澤井 洋春

野田 振一郎

小林 陽子

古賀 未樹

日暮 その

篠塚 雅世

清水 風子

松尾 益代

柳浦 博美

尾形 忍

小島 征子

秀句の風景 小川軽舟

2025年9月号

飛行機になりたかつた子夏の雲       亀田 浩世

 飛行機の操縦士になりたかったのではない。飛行機になりたかったのだ。その夢が、世界を認識し始めたばかりの小さな幼子を思わせる。あえて文語にせず、「飛行機になりたかつた子」と口語を用いたことが、この句には似合っている。物語のタイトルのような味わいがあるのだ。
可愛らしいだけの句ではない。この子がこの世にもう存在しないような儚げな印象さえ残すのだが、そこまで不吉に読む必要はあるまい。この子はやがて成長して頼もしい大人になった。けれども、この子とともにあった「飛行機になりたかつた子」は、雲の彼方に飛び去った。その子の面影を懐かしんで、作者は夏の空を見上げるのだ。

交換手でしたと佳人水を打つ        大岡 吉一郎

 昔の映画など見ると、交換手に電話をつないでもらう場面が出てくる。自動ダイヤル化が進むまで、電話には交換手が不可欠だったのだ。近代化とともに新たに生まれた職業、タイピストやバスの車掌などとともに、交換手は職業婦人と呼ばれるモダンな女性の仕事だった。国内通話の交換手が不要になった後も、国際電話のコレクトコールの交換手や企業の外線電話を内線につなぐ交換手は残ったが、交換手という言葉自体が既に時代がかったものになっている。
 つまり、この句の佳人はかなりの年配の女性であることが想像される。作者の近所の人なのだろう。玄関先の立ち話でふと掲句の打ち明け話が出た。結婚するまで数年間の交換手の勤めを女性は思い出している。会話をそのまま引いた口語がこの句の女性の佇まいに似合う。作者は女性の言葉の彼方に、女性の若かりし頃の時代を垣間見たのだ。

雨粒に弾ける胞子青山河          平山 南骨

 青山河は歳時記に立項されてはいない。青嶺や青野から派生したと想像されるが、誰が最初に使ったものか。昭和四十一年の「蜩や硯の奥の青山河 加藤楸邨」同四十三年の「る麦尊けれ青山河 佐藤鬼房」あたりが早そうだ。これらは、蜩、麦と別の季語があるが、今では青山河自体を夏季として用いることが定着している。
 掲句には温帯モンスーン気候の我が国の青山河らしい生気が横溢する。歯朶類、苔類が地を覆う深い森。針葉樹の葉先から零れた雨粒に打たれて胞子がぱっと散ったのである。雨の森の匂いがむっと立ちこめながら、この場に身を置いてみたいすがすがしさがある。

雨匂う粘菌の杜夕蛍            古賀 未樹

 この句の情景も湿潤で濃密な空気を感じさせる。胞子で増える生物の中でも歯朶や苔よりさらに原始的な粘菌類が、森の湿気をよろこぶように育つ。蛍が飛ぶのは近くに流れがあるからなのだろう。
 粘菌と言えば南方熊楠の名を即座に思い起こす。大英博物館で働いた後、郷里の和歌山の森を巡り粘菌類の研究に心血を注いだ。熊楠は明治政府の進める神社合祀により集落の鎮守の森が失われることを憂い、反対運動を起こした。掲句の杜の一字に熊楠の息吹を感じる。

早苗饗や赤いクボタに油差す        山内 基成

 「赤いクボタ」という言い方に親しみがあって気に入ってしまった。泥にまみれる農業機械に色など何でもよさそうなものだが、「赤いクボタ」が「真っ赤なポルシェ」さながら颯爽と聞こえるのがおかしい。まさに相棒。田植を無事に終えた祝いの行事の傍ら、よく働いてくれた赤いクボタに油を差してやるのである。蛇足ながら、日本の農業機械のシェアは一位がクボタ、二位がヤンマー。どちらも赤いが、クボタの赤は朱に近く、ヤンマーの赤は紅に近い。

舟渡御の白輿波をかぶりけり        氣多 驚子

 祭礼の神輿は担いで町を廻るのが一般的だが、舟に乗せて海や川を渡すものもあり、これを舟渡御と呼ぶ。大阪の天神祭の船渡御が有名だが、この句の舟渡御は土地に根づいたつつましやかなものだと想像した。白輿素木の神輿。海に出て波をかぶったのだ。行事の句はとかく説明的になりがちだが、この句は絞り込んだ材料を歯切れよく調べに乗せることに徹して成功した。「けり」の切字が快く響く。

一日のはじめ詩集とさくらんぼ       永島 靖子

 ガラス鉢のさくらんぼをつまみながら、詩集のページを開く。朝食はこれで足りるのだろう。窓から入る風に庭の青葉が薫る。さくらんぼの艶が一日を予祝するようだ。
 とはいえ、詩集とさくらんぼだけでは生きられない。

 箸茶碗今日も並ぶる荷風の忌          靖子

 荷風は偏奇館と呼んだ麻布の家が空襲で焼け落ちた後、市川に移り住んで独り暮らしを通した。畳に据えた七輪に鍋をかけて自炊する当時の荷風の写真を見たことがある。暮らしのスタイルは違えども、靖子さんも自らの晩年と荷風の晩年を重ねてみることがあるのだと思う。