鷹の掲載句
主宰の今月の12句
雲居
家ぢゆうの隙間に光年迎ふ
初暦数字おのおの端然と
家の闇吸うて太りぬ鏡餅
人形の目の瞬かぬ淑気かな
東京を地下に抜けたり初景色
年賀客子供同士はもう遊び
独楽回す子供減らせり日本国
楪や選挙区継がず起業せる
売初に我は買初古道具
松みどり竹みどりなり能始
松越しに雲居はるけき参賀かな
(「俳句」一月号、「俳壇」一月号、「毎日新聞」一月十三日朝刊発表句より)
今月の鷹誌から
推薦30句
口中に舌がどろりと日向ぼこ
山眠るいつか根こそぎ嘘になる
この世去る如く焚火の輪を抜ける
枯山の端より朝日ほとばしる
煮凝を
天井から電気引つぱる夜業かな
朝晩の夫婦茶碗や希典忌
蓮の骨水に鈍器の光あり
カメレオン蟋蟀に舌飛ばしけり
遠火事やふところの猫顔を出す
瞬きは星のつぶやき冬帽子
枯園の雨や遠くのクラクション
屋敷神落葉日和となりにけり
寒波来る研ぎし包丁血の匂ひ
手の平にゆがみて重し新豆腐
奥坂 まや
夕雨音 瑞華
穂曽谷 洋
南 十二国
山内 基成
井上 宰子
榎丸 文弘
押田 みほ
小島 月彦
まつら 佳絵
後藤 慶子
鈴木 之之
遠藤 奈美子
六花 六兎
高良 千里
未来減るはやさよ木の葉散るはやさ
端渓の硯に
着ぶくれて親に辛抱子に辛抱
稲作の北限の町秋の雪
樹木医の木槌の音や冬隣
寒晴や駝鳥首から走りだす
冬紅葉旅にひと日の水を買ふ
埋蔵金探す特番みて三日
熱燗や街の灯にじむ磨硝子
ぱらぱらとダウンに雨や冬ざるる
手の届きさうな胡桃よ山のカフェ
バスを待つ無音の列や冬の朝
初雪や山を砦のほまち畑
冬萌や手紙にやはらかき余白
一丁の拳銃欲しき聖夜かな
うちの 純
坂口 銀海
田上 比呂美
幸村 千里
植村 螢子
柴田 るり子
市東 晶
嶋津 奈
小林 一平
蓼科 川奈
太田 淳子
松田 寛生
杉谷 たえ
大浦 ともこ
津隈 碧水
秀句の風景 小川軽舟
山眠るいつか根こそぎ嘘になる 夕雨音 瑞華
新聞、テレビなど既存のメディアの報道とネット上に流れる情報のどちらが正しいのか。既存のメディアはネットの情報はいかがわしいから黙って我々を信じろと言いたげだが、そこには庶民の判断力をあなどった驕りを感じなくもない。庶民はネット情報にいかがわしいものが多いことは承知のうえで、それぞれに情報を集めて、何が正しいのか見極めようとしている。兵庫県知事選挙で兵庫県民が斎藤元彦氏を当選させたのは、知りたいことを報じない既存のメディアに対する庶民の不信感の表明だったと言ってもよいだろう。
これが真実だと安心して生きるのが難しい時代になった。そんな世相の中で、自身も真実の自分を偽り、社会に受けのよい自分を演じてはいないか。真実だったものが、ある日全部嘘になるかもしれない。「根こそぎ」の一語が強烈だ。
「山眠る」の季語が寓意的に置かれていておもしろい。眠る山は、真実を装う情報だとも、その真実を拠り所にしている私たちの社会だとも読めよう。狸寝入りをしていたかのように、ある日突然かっと目を開いて、今までの真実がすべて嘘だったことをさらけ出す。
朝晩の夫婦茶碗や希典忌 榎丸 文弘
晩年に差しかかる自分たち夫婦の姿を静かに見つめて印象深い句である。朝飯と晩飯には決まって米を炊く暮らしなのだろう。朝晩という言葉は私も句集名に使ったが、朝と晩という意味から広がって、いつもの日常という意味を持つ。朝晩の夫婦茶碗とは、夫婦のいつもの日常そのものなのだ。ふだんは意識もせず使っているのに、なぜかふと目に留まってしみじみ眺めている。この夫婦茶碗とともに、自分と妻はどんな晩年を過ごすのか。平凡だが穏やかなこの暮らしはどこまで無事続いてくれるのだろうか。
そう思うのも今日が希典忌だと気づいたからなのだ。日露戦争を勝利に導いた陸軍大将として、海軍大将の東郷平八郎とともに日本国民に敬愛された乃木希典は、明治天皇薨去を受けて、静子夫人とともに自宅で殉死を遂げた。すでに軍人を退役し、静かな余生を送っていたはずだ。夫婦一緒に死ななければいけなかった心情を思う。その上で、あらためて我が夫婦の飯茶碗に見入るのだ。
白い鬚を豊かに生やした乃木の写真の印象のせいか、私は殉死時の乃木夫妻はかなりの高齢だと思い込んでいた。ところが実際はまだ満六十二歳で今の私より少し若い。作者も私と同年代だから、尚更感慨深いものがあるのだと思う。
稲作の北限の町秋の雪 幸村 千里
温暖化とともに米作の適地が北上している。かつて気候が冷涼な北海道は稲作には向かないと言われたが、今や優良米を産出する米所になった。夏の気温が十分上がるようになったからだが、さすがに夏が終ると季節の進むのは早い。まだ秋だというのに急に冷え込んで雪になることもあるのだ。「秋の雪」になるほどと思わされた句である。
バスを待つ無音の列や冬の朝 松田 寛生
通勤や通学のためにバスを待つ人がバス停に並んでいる。ふつうの作者なら「無言の列や」とするところだろう。お互い他人だから会話もない。それぞれが押し黙ってバスを待つ姿は人間らしい。ところが「無音の列」となると人間らしさが急に希薄になる。まるで無機物が並んでいるようだ。そこを狙って「無音の列」としたのならたいしたもの。スマホに滑らす指と白い息だけが、そこに人間がいると知らせる。
煮凝を 笑酒 につつく変哲忌 山内 基成
小沢昭一が亡くなってもう十二年が過ぎた。変哲は俳句もよくした小沢さんの、いかにも小沢さんらしい俳号である。笑酒とは耳慣れない言葉だが、広辞苑には「飲めば楽しくなって顔もほころびる酒」だとある。古事記に用例のあるこの言葉が小沢さんによく似合う。小料理屋のカウンターで独り飲みながら、小沢さんの隣で飲みたかったなあなどとその温顔をなつかしんでいるのではないか。
遠火事やふところの猫顔を出す まつら 佳絵
なんだか絵になるのである。夜空を焦がす遠火事を坂道に立って眺めている。抱かれて温もっていた猫が何事かと褞袍の懐から顔を出す。つげ義春の漫画にこんな情景があってもよさそうだ。まつらさんは毎号何句か男女の情愛の場面を句にすることをずっと続けている。この句も背景に男女の物語がありそうな匂いを濃くただよわせる。
カメレオン蟋蟀に舌飛ばしけり 小島 月彦
長い舌を一瞬のうちに伸ばして獲物を捕らえるカメレオンの写生として「舌飛ばしけり」は端的で無駄がない。ペットとして飼われているカメレオンなのだろう。カメレオンは生きて動くものしか食べない。この句の蟋蟀は生き餌として与えられたものである。それがこの句の季語だというところに寒々とした驚きがある。