鷹の掲載句

主宰の今月の12句

寒がつてゐる行列や秋葉原

萌え絵の壁聳え仰ぎぬ冬晴に

寒疣の少女は我を客と見ず

萌え絵もて窓目潰しの街寒し

砕氷船太陽低くあかあかと

氷割る世界が嘘になる前に

パイプ椅子開いては足し金屏風

鳩発たす今朝の世界や風光る

映画見て桜木町の春浅し

雛菊や明治の近き港町

しばらくは湯に立つパスタ桜草

土筆どち見物人のやうに立つ

(「WEP俳句通信」一三二号発表句を含む)

今月の鷹誌から

推薦30句

雪汚し掘り出す蔬菜みづみづし      

痩せ肘を見せぽつぺんを吹きにけり    

国引きの浜の穂俵飾りけり        

数へ日の空家壊せる砂塵かな       

ストーブを囲む長靴するめ焼く      

大年や妻の実家の熱き風呂        

寒垢離に切れて飛び散る念珠かな     

どんどの火目玉熱しと後ろ向く      

こがらしや会社積まれしビルの街     

初富士や焼売つまむ車窓より       

濃く練りしココアの小鍋山眠る      

鷹鳩と化し下駄箱に靴並ぶ        

寒月に行きつ戻りつ逝きにけり      

羚羊の足跡雪に深く青く         

冬の暮本閉ぢて部屋狭くなる       

中島 よね子

宮本 素子

沖 あき

山中 望

堤 幸彦

鈴木 之之

庄司 下載

新原 藍

鈴木 沙恵子

東 鵠鳴

糸島 えり

島田 武重

吉長 道代

大井 さち子

清水 右子

美人画の沈む視線や雪柳         

大寒や残照海にへばりつく        

雁帰るすべての炎高く越え        

羽根散らし鶏失せにけり鎌鼬       

冬暁や患者の息と吾が息と        

二日はや釈台摑む講釈師         

消灯に病室縮む冬の月          

功成りて入る死亡欄日脚伸ぶ       

宝籤一枚買ひぬ開戦日          

呼ぶほどに離れゆく船久女の忌      

初電話母の出るまで鳴らしをり      

奈良新聞薄し川にも春が来て       

ダルマストーブ点き部屋ぽつと丸くなる  

元日はきのふの続き川流る        

海風に父と子競ふ凧高し         

夕雨音 瑞華

石原 由貴子

佐々木 一朱実

後藤 弓

加茂 樹

三宅 静可

上田 鷲也

石井 政子

山﨑 美知子

澤井 洋春

杉山 眞知子

亀田 荒太

西山 朝子

七條 稔晴

山本 妙子

秀句の風景 小川軽舟

雪汚し掘り出す蔬菜みづみづし       中島 よね子

 雪の積もる地方の暮らしを目の前に見るようで印象に残った句である。蔬菜とは野菜のこと。畑で雪に埋もれた菠薐草や大根を必要な分だけ掘り出す。土が散って白い雪を汚すのだが、それは少しも汚らしくない。むしろ、土に汚れた雪が見えてこそ、蔬菜のみずみずしさが際立つようだ。雪の下で甘みも増していることだろう。掘り出したあたりを除けば一面の雪景色である。晴れていてもいなくても、清らかな光が地上を満たしている。

大年や妻の実家の熱き風呂         鈴木 之之

 年末年始を妻の実家で過ごすことになった。大晦日の晩に風呂に浸かる。体の芯までまっすぐ沁みてくる熱さは一番風呂に違いない。その熱さに妻の夫としてもてなされていることを実感する。一年を顧みる感慨も一入だろう。
 作者の投句は「実家」ではなく「生家」だった。一句の内容に大きな違いはないが、生家と言えば妻の生まれた家そのもの、実家と言うと妻の家族が色濃く感じられよう。この句の場合は後者が向いていると思った次第。

元旦はきのふの続き川流る         七條 稔晴

 年があらたまったからと言って、昨日までのことが帳消しになるわけではない。初景色を眺めながらも、人生は昨日の続きを生きて行くしかないのだと気づく。流れる川は人生の暗喩でもある。滔々たる大河より、近所の見慣れた川がこの句には似合いそうだ。昨日の続きの人生にも愛着はある。

二日はや釈台摑む講釈師          三宅 静可

 正月二日に講談を聞きに来た。写生の利いた句である。話が佳境に入ってきたのだ。右手で張扇を打ち、左手で釈台の縁をぐいと摑んで講釈師が身を乗り出す。その迫力に思わず作者も固唾を飲んで聞き入る。この句の中七のように、どこか一箇所目を利かす。俳句がただの報告に終わらないための要点である。

痩せ肘を見せぽつぺんを吹きにけり     宮本 素子

 宮本さんの先月号の「だんまりの男にも似て冬の滝」もおもしろかったが、今度は女。正月の着物姿でぽっぺんを鳴らしている。郵便切手にもなった歌麿の版画と同じ構図だが、歌麿の方は若い娘で袖から見える肘もふくよか。対する掲句の女は痩せ肘がせつない。それでも袖を押さえもせず肘を露わにしてみせるのは男の視線を意識してのことか。

呼ぶほどに離れゆく船久女の忌       澤井 洋春

 杉田久女の人生は小説にもなって知られている。師事する高浜虚子を崇拝するあまりかえって疎まれ、ついには突然「ホトトギス」同人除名を宣告されて俳人としての命を断たれた。「呼ぶほどに離れゆく船」はそんな久女の悲劇を具体的なイメージに転じて納得できるものになっている。
 「箱根丸事件」と呼ばれるエピソードがある。坂本宮尾著『真実の久女』に拠って記すと、虚子が箱根丸に乗って渡欧する際、立ち寄った門司港を出発するのに、久女一行は小船を仕立てて後を追いかけ、久女はその先頭でハンケチを振り続けた。虚子は手を挙げて応えたが、やがて興ざめして船室に引っ込んだ。以上の話は、久女の没後に「墓に詣りたいと思つてをる」と題する文章で虚子が記している。掲句はこの箱根丸事件を描いたとも見えるが、やはり虚子に突き放された久女の姿そのものだと読むのがよいだろう。ちなみに、地元の人の証言によると、久女が小船を出して見送ったという事実はないのだそうである。

功成りて入る死亡欄日脚伸ぶ        石井 政子

 新聞に死亡記事が出ている。作者の知る人なのだろう。故人の功績があれこれ記されている。立派になって往生してめでたしというところだが、話はそう簡単ではあるまい。「一将功成りて万骨枯る」の言葉通り、その功は無名の人たちの犠牲の上に得られたものだ。季語に表れた作者の思いは、その無名の人たちの方に寄せられている。

奈良新聞薄し川にも春が来て        亀田 荒太

 奈良新聞と固有名詞を出したのが利いている。作者は石川県白山の人だから、これは旅先の奈良の宿でのことだろう。朝飯の後、部屋に届いた奈良新聞を捲ってみる。その薄さに何かしら春らしい旅情を覚えたのだ。川は佐保川か、飛鳥川か。土手で土筆が風に吹かれていそうな風情である。

雁帰るすべての炎高く越え        佐々木 一朱実

 渡り鳥は人が定めた国境に関わりなく旅をする。行先が戦地に当たるものもいるだろう。ロシアによるウクライナ侵攻以降、渡り鳥と戦地を結びつける句をたびたび見た。掲句も着想は同じなのではないか。しかし、あえて戦火とは言わす、すべての炎とのみ言って気高い象徴性を帯びた。戦火も所詮あらゆる炎の一つに過ぎぬと言うようだ。