鷹の掲載句
主宰の今月の12句
今月の鷹誌から
推薦30句
バルコンや闇を恐れて殖えゆく灯
栓抜がどこにでもある海の家
冷房を出て夕風の厚ぼつた
死に方の本三冊目夏の雨
箱船のごとき病棟梅雨ながし
水盤に沈むビー玉兄逝けり
轟轟と滝が響けるしじまかな
白日傘さらさら巻いて今日忘る
窓に迫る吉野
可惜夜に洒ぐ筆先白桜忌
夕立中原爆ドーム渇きをり
窓全開車に夏の夜を満たす
さみだれの四手網より蝦拾ふ
雪加鳴く頭の上を風が吹き
駆け寄りて母の手蛭を挘りけり
髙柳 克弘
中山 玄彦
黒澤 あき緒
寺島 きしを
清田 檀
中野 悠美子
堤 直之
椎名 果歩
橘田 麻伊
中本 弓
大野 潤治
本多 伸也
中西 常夫
白取 せち
守岡 衛子
しまつたの顔のだぼ沙魚あがりくる
負けは負け独りごちたるシャワーかな
白詰草駆け抜ける子の素足なり
常陸はも沖つ白波青田波
全一巻鈍器の如し五月闇
磯馴松くぐり海原いなさ吹く
朝に見し畦塗る男夕も見る
七月や白砂の分つ海と
沙羅落花明日へ明日へと日は迅し
水中花痛みこらえて開きけり
石斛の花や早瀬の水谺
お暇とせり片陰の出来る頃
干し物を畳に畳む涼しさよ
髪切つて六月の風なれなれし
酢を注ぐピクルスの瓶半夏生
渡辺 有麻
大岡 吉一郎
岩田 律子
阿部 けい子
安藤 辰彦
内藤 邦子
瀬下 坐髙
藤咲 光正
保高 公子
松崎 誠
廣田 昭子
山田 陽子
三島 あきこ
松尾 初夏
村上 弘子
秀句の風景 小川軽舟
死に方の本三冊目夏の雨 寺島 きしを
死に方の本が確かにいろいろ売られている。もちろん自殺の指南書などではない。アマゾンで検索すると、『死に方のコツ』、『痛くない死に方』、『女性の死に方』、『医者には絶対書けない幸せな死に方』『完本 うらやましい死に方』など、タイトルを見てもさまざま、現実的なものから精神的なものまで内容もさまざまらしい。作者もついに後期高齢者となり、いざという時に慌てないよう、前もって死に方を学んでおこうと思い立った。この世に心残りのない良い死に方をしたいのである。そうして読んでみた本も三冊目。しかし、自分自身の死に方がまだわからない。わからないのに本のおかげで死が急に身近になって気が塞ぐ。取り合わせた季語がそんな作者の心情を想像させる。
「夏の雨」という季語は使いにくい。五月雨や夕立のようなはっきりした特徴がないからだ。「季語別鷹俳句集」にも用例がない。ただ夏に降っているだけの雨、ところがそれが掲句のとりとめのない不安にはよく似合う。死に方は未だわからないものの、「季語別鷹俳句集」に新しいページを開く一句を得ることはできたわけである。
水盤に沈むビー玉兄逝けり 中野 悠美子
身近な誰かを喪った悲しみにある時、故人の形見というわけでもなく、身の回りの見慣れたものがふいに故人をたまらなく懐かしく思わせることがある。この句の場合、それが水盤の底に沈んで涼しげな彩りを見せるビー玉だった。ビー玉で遊んだ幼い頃の記憶が甦ったのだろうか。水盤も「季語別鷹俳句集」にこれまで例句がなかった。亡き兄の面影を求める真率な目が、こうして季語を生かしたのだ。
白日傘さらさら巻いて今日忘る 椎名 果歩
日常生活で毎日繰り返しながら、それが一日にけじめをつける小さな儀式のように思われる事柄があるものだ。例えば家に帰ってネクタイを外し、洗面所で手を洗うことなどもその一つ。この句の日傘を巻くことにも、そんなけじめの心持ちがある。「さらさら」が布の手触りを伝えて快い。外に出かければ嫌なこともある。今日に疲れた心をリセットして、また明日に向かわせてくれるけじめなのだ。
沙羅落花明日へ明日へと日は迅し 保高 公子
老いの実感として、「日は迅し」は誰もが言う常識だが、「明日へ明日へと」は常識とは言えまい。後ろを振り返って迅さを嘆くのではない、迅さを受け容れて明日を迎える姿勢が潔いのだ。沙羅の花は朝咲いて夕方までに落ちる。明日を知らない花だ。今日は今日、明日はまた新しい花が咲く。その気構えが潔いのである。
石斛の花や早瀬の水谺 廣田 昭子
常陸はも沖つ白波青田波 阿部 けい子
見晴るかす太平洋は沖に白波が立ち、平野に広がる青田は稲が波打つ。そのような眺めを一望できる常陸の土地を誉めているのだ。「はも」は詠嘆を表わし、読み方は「わも」。万葉語を織り交ぜて、舒明天皇の国見の歌「国原は
さみだれの四手網より蝦拾ふ 中西 常夫
「蝦拾ふ」が巧い。五月雨の降る川に舟を浮かべ、四手網で漁をする。昔はもっと魚が多かったものだが、というのが漁師たちの口癖になっている。それでも引き揚げた網に蝦が跳ねていれば心が弾む。それをいくつか拾うだけのささやかな漁でも、気分は豊かだ。
全一巻鈍器の如し五月闇 安藤 辰彦
全一巻という言い方は、それがかなりの大冊であることを想像させる。俳人の全句集の類も全一巻が多い。ハードカバーで箱入りのずっしりと重いそれは、いかにも鈍器のような見た目である。作者にとって、その本の存在自体もまた鈍器の如しなのだろう。興に乗じて読み進むというものではない。一頁一頁がはらわたに鈍く重く響く。五月闇がその重みに耐えて全一巻に対峙する作者の姿をほの暗く見せる。
水中花痛みこらえて開きけり 松崎 誠
なぜそのように思ったのか、特異な感覚の句ではある。乾いた命のない造花が、水を注がれて開く。そのこと自体が作者には痛ましいことに思えたのだろう。開いた花の鮮やかな原色が作者の目にはひりひりと映る。「痛みこらえて」の感情移入に、私は共感できた。