鷹の掲載句

主宰の今月の12句

花束

2026年3月号

綿虫やバイクは排気青く曳き

冬日さす爪切つてとぶあたりまで

いちにちに雨が二度来て寒葵

向かうからドアノブ回り冬館

古更紗に包む酒盃や敷松葉

乾鮭や徳利の肩の窯印

鰭酒に一寸浮いて火の淡し

本屋ある街へひと駅日記買ふ

古日記花束もらひたる日あり

空港の灯る河口や年惜しむ

年の湯に重油惜しまず鶴亀湯

方位盤全方位初山河たり

(「俳句」一月号発表句を含む)

今月の鷹誌から

推薦30句

2026年3月号

晴れてきて鎌倉近し初電車        

枯が枯呼びていよいよ全景に       

太梁にむかしむかしと炉火の影      

海峡の流速まぶし冬薔薇         

髪切つて鏡明るし十二月         

年の瀬や弥栄さつさ竹箒         

声のして何処にもをらず焼芋屋      

風花や公費解体待つ古刹         

書置の煮物あたためクリスマス      

風花や投光に浮く転轍手         

寒林の朝日山気をつらぬけり       

シクラメン心渇いてをりにけり      

蜜柑山時間どほりの電車見ゆ       

窓磨く空の親しき小春かな        

寒月や親しき人の別の顔         

加藤 静夫

髙柳 克弘

福永 青水

桐山 太志

浜 なつ子

千光寺 昭子

橋本 耕二

宮本 ヒロ子

渡邊 健治

山内 基成

井上 茅

杉崎 せつ

新田 裕子

渡辺 安子

大内 都

雪嶺やダム洋々と殉職碑         

年詰まる社長外まで台車押す       

襖開く二度寝の妻のふつくらと      

冬晴が全部なかつたことにする      

振分けに吊す干菜や茜雲         

交通量調査のパイプ椅子寒し       

町に出るただそれだけのクリスマス    

ぼろ市の主とりだす虚子の軸       

コンカフェの推しの休職神無月      

爪割れて糸引つかかる霜夜かな      

飲み込んだ言葉暴れる葛湯かな      

一人寝にふるさと遠し虎落笛       

かいつぶり一羽潜りて三羽出づ      

へばりつく輪ゴムの跡や十二月      

太刀魚を馬穴に貰ふ師走かな       

喜多島 啓子

久保 直己

石川 統之

大野 潤治

守屋 まち

木村 隆由季

菊池 ひろ子

加藤 洋一

飯島 白雪

岡﨑 陽子

長岡 美帆

三上 宏志

野上 寛子

中村 敦子

渡邊 カズ子

秀句の風景 小川軽舟

2026年3月号

年の瀬や弥栄さつさ竹箒          千光寺 昭子

 ニシン漁の盛んだった北海道で漁師たちの歌った「いやさか音頭」という民謡がある。その囃子詞が「はぁー いやさかさっさ」。他の地方の民謡でもありそうな囃子詞だが、作者の地元の高知にあるのかどうかは知らない。
 慌ただしい年の瀬になっても落葉は降り止まない。庭先を掃いていると調子が出てきて、思わず「いやさかさっさ」と口ずさんだ。たわいない内容だと言えばそれまでだが、日々の暮らしの中でこのような気分になれたこと、そしてそれを俳句に書き留めることができたことが何より幸せだ。「弥栄」の字を宛てたのが来たるべき新年を予祝するようで、この句にさりげない格調をもたらしている。

太梁にむかしむかしと炉火の影       福永 青水

 古い田舎家である。見上げると太い梁が頭上を横切り、囲炉裏の火が映っている。揺れる火影が「むかしむかし」と昔話をするかのように思われたのだ。本来は囲炉裏を囲んで年寄が語り、子供達が聴き入るものだが、この屋敷も過疎化と少子高齢化の波を免れず、人から人へ語り継ぐことができなくなった。この句には人の存在が希薄なのである。ただ、屋敷だけが昔日をなつかしんでいる。この句の炉火さえ、本当に燃えているのか、冷え切った囲炉裏に作者の見た幻想なのかわからない。

コンカフェの推しの休職神無月       飯島 白雪

 「コンカフェ」は『現代用語の基礎知識』によれば「コンセプトカフェの略。メイドカフェのように、あるテーマで統一された空間を売りにした喫茶店」とのこと。メイドカフェなら私も一度だけ行ったことがある。
 この句が私の目を引いたのは、「休職」という言葉がなまなましかったからだ。推しというのだから、ある一人の店員目当てで店に通っていたのだろう。その店員が姿を見せなくなった。聞けば休職中だという。キャラクターのような推しといえども生身の労働者であり、店は職場なのだ。他の職場と同じように心身の不調で出勤できなくなることもある。そう気づかせるなまなましさなのである。推しのいなくなった店は、いくら華やかでも隙間風が吹く。

襖開く二度寝の妻のふつくらと       石川 統之

 夫婦の寝室の目覚ましが鳴って、夫は起床したが、妻はまた眠り込んでしまった。その妻がすっかり寝足りた顔で、襖を開けて顔を出したのである。「ふつくらと」に幸福感がある。現代の生活に襖が冬の季語である実感は乏しいが、その襖を上手く使った句だ。和室に蒲団を敷いて寝る暮らしであるらしいこともなつかしくてよい。

振分けに吊す干菜や茜雲          守屋 まち

 季語の干菜は、スーパーに行けば冬でも青物がふんだんにある今の暮らしから忘れ去られたものの一つ。私は干菜汁も干菜湯も見たことがない。私より長く生きている守屋さんは、頭のどこかに干菜の記憶があるのだろう。今はすたれたものを今詠む意味はあるのか。私は作者それぞれが生きてきた記憶の中の風物を俳句に残すことにも意味があると考えている。俳句にはそれらのアーカイブとしての役割がある。この句は「振分けに」という気の利いた言葉を得て干菜が息づいて見える。茜雲を背景にしたその眺めは、それを実際には見たことのない私にも「なつかしい」という感情を呼び起こす。

晴れてきて鎌倉近し初電車         加藤 静夫

 横須賀線に乗って東京を発つと、大船を過ぎたあたりから急に緑が増え、景色がいきいきしてくる。ああ、もうすぐ鎌倉だなと思う。折よく空が晴れてきたなら、その感慨は一入だろう。この電車に乗ったことのない人にも、歴史の舞台であり、多くの文学作品に登場する鎌倉の地名は、この句の高揚感を伝えてくれるものと思う。鎌倉の由比ヶ浜の家から東京の丸ビルまで高浜虚子が毎日通勤に使った電車だ。鶴岡八幡宮の初詣と虚子先生への年賀を兼ねて出かけた気分をこの句に味わってみるのもよい。

へばりつく輪ゴムの跡や十二月       中村 敦子

 大掃除あるあるだなと思う。古くなった輪ゴムはどうして他の物にへばりついて取れなくなるのだろう。暮らしの中のちょっとした発見を詩にするのは俳句の得意とするところ。しかし、ただのあるあるでは常識になる。この句のように物に徹して詠めばその弊害を免れるのだと感じた。

かいつぶり一羽潜りて三羽出づ       野上 寛子

 かいつぶりが一羽潜ったのに気づいた。どこに浮かび上がるかと見ていたら三羽出てきた。落ち着いて考えればあり得ることである。残りの二羽は作者が気づく前に潜っていたのだ。しかし、そう言っては身も蓋もない。手品を見るような不思議をこの句から素直に味わおう。このとぼけた不思議さはかいつぶりによく似合うと思う。