鷹の掲載句

主宰の今月の12句

生涯賃金

2025年12月号

風に湧く谷の鴉や葛の花

朴の実をあふげば風に雨しづく

秋あかね電柱の影道を越す

八方に水湧かす山小鳥来る

鼻擦りつけ草食む羊流れ星

朝霧や白亜の崖に牧の馬

仏壇に枝豆甘き湯気立てぬ

爽やかや床屋のあとの惣菜屋

一葉落つ生涯賃金貰ひ切り

染み多き掛軸月の友迎ふ

秋風や鼻成り余る獏の貌

稲荷鮨菊は小菊を愛しけり

(「俳句界」十二月号発表句を含む)

今月の鷹誌から

推薦30句

2025年12月号

訃報相次ぐひと房の黒葡萄        

晩涼や客船は街置き去りに        

駅弁の満腹早し秋の雲          

海上の如きかがやき菊花展        

雨風に色抜けにけりねこじやらし     

ひとすぢのすなはま白し秋の航      

秋の蠅草にとまりて七色に        

翡翠の飛ぶ寸前の前のめり        

秋高しセメント混ぜる鍬の音       

川なぞる月光海に出て広し        

引潮の岩から岩へ石叩          

城山や葛の花房太く立つ         

倒景の紫紺の山の秋気かな        

鬼の子よ南海トラフ動くのか       

落栗や日向薬師の坂上る         

喜納 とし子

畠 梅乃

桐山 太志

有澤 榠樝

大石 香代子

南 十二国

折勝 家鴨

干䑓 きん子

入倉 冨美子

長尾たか子

山岸 文明

氣多 驚子

今井 紅月

羽村 良

山崎 南風

生姜摺るやつこがあれば済む男      

秋の川の向かふに母を置きに行く     

急湍のやがて碧潭曼珠沙華        

棕櫚の木を切り倒したる晩夏かな     

宵闇の机に白き一書簡          

鴨川の流れ平たき残暑かな        

団栗や話し相手を待つベンチ       

ひたひたと白象歩むごとく秋       

祈るしかなき事祈る無月かな       

遅れくる妻の手に供花墓洗ふ       

断層は寝返る大地鳥渡る         

さくらんぼつまんで数を教へけり     

海見ゆる郵便局や梨送る         

古書抱へ時代祭の列に会ふ        

ここに入る覚悟なき墓洗ひをり      

野島 乃里子

伊藤 女以己

中西 常夫

米熊 鬼子

龍野 よし絵

鈴木 之之

進藤 弓子

柏木 七歩

幸村 千里

山後 多徒

中田 笑子

井上 遊子

安居 玄鳥

佐竹 三佳

酒井 清香

秀句の風景 小川軽舟

2025年12月号

川なぞる月光海に出て広し         長尾 たか子

 まさに鳥瞰である。一筋の川が、山間の谷を下り、盆地や平野を流れ、やがて海に出る。その軌跡をなぞるように照らし出す月光が、河口から先は広い海にあまねく満ちわたる。読めば渡り鳥になったような陶然たる気分になる。
 ドローンを使う撮影が広まり、テレビ番組などで鳥になって飛び立つような映像を見ることが多くなった。掲句もドローンから撮影した風景を思わせる。雪舟の国宝「天橋立図」は天橋立の大景を俯瞰的に描いたものだが、周囲のどこに登っても雪舟の絵と同じ構図では見ることができないそうだ。今ならドローンを飛ばせば雪舟の視座を得ることができるのだろう。ドローンなどない時代でも、人の想像力と表現力が鳥瞰を可能にしていたのだ。掲句もまた、想像力と表現力によって私たちを鳥にしてくれたのである。

急湍のやがて碧潭曼珠沙華         中西 常夫

 こちらは地上に立って眺める川である。湍は水の流れの急な早瀬を、潭は深く水を湛えた淵を表す。白く飛沫をあげる早瀬が碧の深い淵に流れ込むのだ。急湍、碧潭と漢語を連ねて日本の渓流美を表した。曼珠沙華の赤い彩りを加え、まさしく絵のような風景に仕上げている。

晩涼や客船は街置き去りに         畠 梅乃

 いわゆる豪華客船は、最大規模になれば二十階建ての建物に相当し、客室数は二千、定員は五千を超える。港によっては港町より大きいと思えるほどのスケールだ。私がノルウェーのフィヨルドで見かけた客船もそんな感じだった。停泊中には大勢の乗船客が街に出て観光し、時間になると一斉に船に引き揚げて出航する。「街置き去りに」はまさにその通りだと思える。見送る人が置き去りにされるのではない。街が置き去りにされるのである。
喧騒が消えて街は晩涼の静けさになった。置き去りにされてかえってほっとした街の表情が見えるようだ。

海見ゆる郵便局や梨送る          安居 玄鳥

 小泉内閣の政策の目玉として官営から民営に移行した郵便局だが、近年は不祥事続きで評判は芳しくない。郵便料金を大幅に引き上げても経営の見通しは明るくないようだ。それでもなお、郵便局という言葉には郷愁をともなうなつかしさがある。この句の梨は鳥取砂丘の二十世紀梨といったところだろう。都会に出た子に送ってやるのか。海を背景にぽつんと建つ様子が郵便局のなつかしさをいっそう引き立てる。

生姜摺るやつこがあれば済む男       野島 乃里子

 冷奴さえあれば一人で機嫌良く酒を飲んでいる。それ以上の贅沢は望まない安上がりで手のかからない男なのだ。薬味の生姜を摺るのは男自身なのか、それとも作者なのか。野島さんにはかつてこんな句があった。

 釘ひとつ打てぬ男と冷奴           乃里子

 家のことは何一つできない男。今度の句と同じ男だとすると生姜も作者が摺ってやるに違いない。その冷奴を仲良く一緒につついていたのである。
 この句の季語は生姜か冷奴か。現に摺っている生姜が主だと見るべきだろう。となると季節は秋。秋風が吹き抜ける頃になってもやっこがあれば済む男なのだ。

秋の川の向かふに母を置きに行く      伊藤 女以己

 物のように「母を置きに行く」との言い方に、そうするしかないと割り切るに到った作者の心情が感じられた。施設に預けたのか、病院に入院させたのか。どこへとは特定せず、「秋の川の向かふ」とそれこそ捨てに行くかのように言っているのも、情緒を抑えた厳しさがあり、かえって哀切だ。夏の輝きが失せて蘆や芒が風に吹かれる秋の川であることにも作者の心境がうかがえる。

秋高しセメント混ぜる鍬の音        入倉 冨美子

 しばらく聞いていないなつかしい音だなと思った。四角い金盥のような容器にセメントと水、それに砂や砂利を加えて鍬(と呼ぶのかどうか知らないが)で混ぜる。ジャリジャリいう音は神経にさわってけっして快いものではないが、記憶の中の忘れていた音が目を覚ます。あの音をしばらく聞いていないのは、何が変ったからなのだろう。

鬼の子よ南海トラフ動くのか        羽村 良

 南海トラフが動くと巨大地震が起きる。それに備えよと国は繰り返すが、いつになったら本当に動くのか。政府の地震調査委員会が、南海トラフ巨大地震の今後三十年以内の発生確率を、これまでの八十%程度から六十~九十%程度以上に見直し、別のモデルで計算した二十~五十%という数値も併記した。そのニュースを聞いて浮んだ句だと思われる。鬼の子すなわち蓑虫に実際どうなんだと問う。風に揺られる蓑虫は知ったことかという風情である。それでもこの地震大国に生まれた以上は備えなければならないのである。