鷹の掲載句

主宰の今月の12句

今朝の空

2024年10月号

月に墨流す雲ある鵜飼かな

篝火に鵜の嘴躱す鮎の影

鮎好きの箸も割らいでかぶりつく

瑠璃蜥蜴朝礼台をわたりけり

巣を発ちし働き蟻に今朝の空

歯を磨き歯茎を鍛へ夏盛ん

炎天へ海豚はおのれ発射せり

冷房にさやさや光りシャンデリア

大鼓に指打ち込むや夏袴

赤紫蘇を塩に揉むまづがさがさと

幻燈に守宮の大き影よぎる

雨降れば火の山に沢夏終る

今月の鷹誌から

推薦30句

2024年10月号

香水の封切る繋縛始まれり        

バケツごとたふるるモップ油照      

山百合の咲き定まりて傾ける       

さざめく樹ささめく草や風光る      

黒揚羽真赤な影を欲しがりぬ       

順番に死ぬわけでなし目刺焼く      

呆けたる母に鬼棲む凌霄花        

あめんばう互ひに水輪ぶつけ合ひ     

乳呑み児のわれも泣きしか終戦日     

惑星に昼と夜あり百合ひらく       

巨大なる工場夜景夜光虫         

烏瓜咲くや二夜の母の家         

扇風機あらららららら、ららと止む    

ソフトクリーム列車待つ間の妻静か    

検閲印紅き手紙の海市より        

三代 寿美代

川原 風人

辻内 京子

安藤 辰彦

折勝 家鴨

大野 晴真

六花 六兎

中村 哲乎

関 都

山下 雄二

西台 恵

小熊 春江

作田 きみどり

美谷 邦章

栗山 游糸

荒梅雨や文春買つて新潮も        

天国も地獄もはだし桜桃忌        

主婦に株勧むる主婦のアッパッパ     

水汲みに降りたる沢や雪加啼く      

もうゐない人のこと云ふところてん    

少年放電す大暑深夜の秋葉原       

風鈴は雨の音色となりにけり       

レジ品出しレジ品出しに夏逝けり     

総務課の雑用あまた草を引く       

肩入れて洗ふ寸胴梅雨深し        

ロケ隊の天気待ちなり行々子       

調律師先づ風鈴を下ろしけり       

信金の団扇や家業ほそぼそと       

乱杭のごと炎天の無縁墓         

麦笛を作り妻にも吹かせけり       

磯村 二郞

池田 宏陸

大岡 吉一郎

友野 瞳

井上 宰子

上田 鷲也

落合 清子

武田 杯嗣

小田川 浩道

此雁 窓

古賀 和世

松尾 益代

坂尾 径生

今岡 直孝

住友 良信

秀句の風景 小川軽舟

2024年10月号

順番に死ぬわけでなし目刺焼く       大野 晴真

 六十代後半という作者の年齢では、まだ自分が死ぬことを差し迫ったものと意識することなく日常を過ごしていることだろう。それでも年の近い親戚や友人が死ぬと、急に死が身近なものになる。「順番に死ぬわけでなし」は、死の不安を頭から遠ざけようとしてつぶやいたのだ。
 そう言えば、草間時彦の晩年の句に、「秋刀魚焼く死ぬのがこはい日なりけり」があった。時彦の場合は、死の不安がもう具体的な恐れとして背中に張り付いている。「梶の葉にぴんぴんころり願ひけり」と詠んで強がっても、やっぱり死ぬのが怖くなる時がある。
申し合わせた訳でもないのに、死を意識しながら、二人そろって庶民的な食い物に執着しているのがおかしい。それがまだ生者の側にいる証ででもあるかのように。

香水の封切る繋縛始まれり  三代寿美代

 「繋縛」という言葉に驚かされた。一瞬だけれど「緊縛」と見間違えて、あらぬ連想に誘われるからかもしれない。「繫縛」は「けいばく」「けばく」どちらにも読めるが、「けばく」と読むのは仏教用語で、煩悩に縛られることを指す。香水の封を切るのは新しい恋の暗示だろう。それが繋縛の始まりだと言うのだから、これまで経験してきた恋の激しさとしんどさがしのばれる。

バケツごとたふるるモップ油照       川原 風人

 この句を読んで、能村登四郎の「霜掃きし箒しばらくして倒る」を思い出した。静謐な写生に老境の寂しさを滲ませた名句だ。その真逆を行く掲句には、投げやりな若さが横溢する。モップごと引っ繰り返ったバケツから汚れた水が床に広がる。うんざりした顔から汗がしたたり落ちる。

呆けたる母に鬼棲む凌霄花         六花 六兎

 認知症の親に向き合うことは、今や俳句に欠かせないモチーフの一つになっている。人口の高齢化のもたらす社会問題であると同時に、ひとたび自分のこととなれば日常に深刻な影響を及ぼす。俳句に詠まれることが増えた分、類想も目につくようになったが、掲句はこれまで見たことのない斬新さだ。認知症が進むにつれ、母にこんな本性が秘められていたのかと驚かされるのだろう。親に対して「鬼棲む」とは残酷な言い方だが、そう言わずにいられないのだ。もしかするとこの鬼は、子である自分にも棲んでいるのではないか、そう思って慄然とする作者が想像される。

天国も地獄もはだし桜桃忌         池田 宏陸

 天国も地獄も裸足だというのは、洋の東西を問わず、一つの発見だと思った。となると、靴など履くのは、現世に生きるがゆえの束縛だと思えてくる。この発見に何を取り合わせるか。作者は桜桃忌を選んだ。太宰治が心中するに際して玉川上水の岸に靴を脱ぎ揃えていたのかどうか知らないが、引き上げられた遺体をくるむ茣蓙から突き出した裸足のイメージが浮かんだ。行き先は天国か地獄か。どちらにせよ靴を脱いで太宰は現世から解放されたのだ。

惑星に昼と夜あり百合ひらく        山下 雄二

 太陽系の惑星は、周期はまちまちながらそれぞれ自転している。従って、地球上と同じように、日が昇れば昼になり、日が沈めば夜になる。百合がひらいたのは作者の眼前の出来事である。宇宙の事象に身近な季語を取り合わせて詩が生まれるかどうか。この句は成功していると思う。昼が夜に変わる時間帯なのだろう。昼が夜になるのは、地球が太陽系にあって他の惑星とともに自転しているから。そのことを眼前の百合が啓示しているように感じられた。

巨大なる工場夜景夜光虫          西台 恵

 臨海部の工業地帯の夜景には神秘的ともいえる美しさがあり、工場夜景と称して観光するクルーズもある。しかし、日本の臨海工業地帯の重化学工業の繁栄は昔日のものとなりつつある。工場夜景には、どこか廃墟観光にも似たもの悲しさもあるようだ。大阪湾に浮かぶ夜光虫越しに見る工場夜景は尚更その感じを強めることだろう。

山百合の咲き定まりて傾ける        辻内 京子

 山道の傍らに山百合が咲いた。風もないのだろう。花の重みに耐えかねたように茎が傾き、そのまま静止している。山百合は日本の野山に自生する植物の中でもとびきり華やかな花をつける。その雄姿を写生した句である。
 「咲き定まる」という言葉は辞書にないし、ふだん使うこともない。これは白樺派の歌人、木下利玄の名作「牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」から引いたものだろうと推察する。中国から渡来した観賞用の花である牡丹は、咲き定まれば絵画のように正確な位置を占める。それに対して日本の自然の中の山百合は咲いて傾く。そこに日本の美の発見があり、俳諧の味わいがある。