今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  火よ火よと啼きつる鳥や梅雨に入る    沖  あき

 ひよどりなのだろう。庭にやって来て、その名の通りヒーヨ、ヒーヨと甲高く鳴く。雨に濡れて、ただでさえぼさぼさの羽がさらに毛羽立っている。この句から実景を想像するとすれば、こんなところだろう。
 しかし、言葉の組み合わせは、しばしば実景に還元できない観念的な像を結ぶ。この句の場合は、鳥の声を「火よ火よ」と聞いたところから実景を遊離するのだ。鳥が訴える火とは何なのか。私には煩悩の業火が燃え上がる火宅の存在を知らせているように見えた。法華経は火宅を火事に気づかず遊ぶ子供の姿に喩えて表している。
 「啼きつる」という措辞も古典の香りがしてよい。助動詞の「つ」はそれが意志的な行動であることを示し、語調も強い。百人一首の名歌「ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる」が余韻のように心に浮かんだ。

  白粉の花に逢瀬の匂ひあり        田上比呂美

 俳句で逢瀬だなどとやられても、どうも嘘くさくて鼻白むことが多いのだが、この句の逢瀬は地に足がついている。白粉花は名前こそ優美だが、いたって庶民的な花だ。裏庭の一隅などで勝手に育ち、夕暮に花を咲かせる。白粉花から連想される逢瀬は、家の近所で夕闇にまぎれて会っているという風情。それだけに立ち上る情感もなまなましい。過去のどういう経験が白粉の花に逢瀬の匂いを思わせたのか。記憶の奥底に眠る官能に素直に心を開いた句なのだろう。

  川床涼み妻ほいやりと膝崩す       坂口 銀海

 「ほいやり」という擬態語になんともいえぬ味がある。広辞苑を引くと「おだやかにほほえむさま。心のなごむさま」。近松の心中物に用例があるから、大阪の言葉なのかもしれない。関東の言葉にはない語感のやわらかさがあるのだ。鴨川の川床で夕涼みがてら酒食を楽しむ夫婦のひとときである。作者の妻は何年も前に亡くなったはずだが、まるで生きて目の前にいるように思い出されている。俳句はこれほどまでにありありと思い出すことができる器なのだ。

  ふと妻を置き忘れゐる涼しさよ      遠藤 篁芽

 いわゆる老老介護の夫婦だろうか。散歩に連れ立ってベンチに並んで座る。作者は何か季語でも見つけて、そのまま妻といたことも忘れて歩き出したのだ。妻は妻でベンチに座ったままにこにこしている。「置き忘れゐる」が切実な事情をユーモアに包んでいかにも篁芽調。だから下五の「涼しさ」が読者にも心穏やかに受け入れられる。

  子にほほゑむ母にすべては涼しき無    髙柳 克弘

 他の何人も侵すことのできない母の全き愛情、母子の全き関係が描かれている。わが子にほほえむ母には、他に何ものも存在しないのである。「涼しき無」がまさしく涼しい。
 作者にはすでに句集に発表している、
  雪投げの母子に我は誰でもなし         克弘
があって、全き関係に対する他者としての意識は追いかけてきたテーマなのだが、今度の句では最も身近な家族関係にそれが及んだ。しかし、ここには不思議と疎外感はない。全き関係を見守る幸福が男にはあるのだ。たとえ自分も「涼しき無」であったとしても。

  芭蕉打つ夜雨聴きをる帰省かな      阿部けい子

 心惹かれる帰省だ。帰省の句はたくさん作られているが、それらの類型にまぎれることのない存在感がある。軒端に芭蕉が葉を広げている地方の旧家を想像する。紫檀の座卓に向かって、しみじみと雨の音を聞いている。どこか文人墨客のような清雅な気分がある。
 もちろんここには松尾芭蕉の俤が重ねられている。
  芭蕉野分して盥に雨を聞く夜哉         芭蕉
深川に隠棲したばかりの頃の句だ。阿部さんの句の帰省子は旧家の御曹司の趣だが、そこに流離の気分が漂うのは芭蕉の俤が纏わるからなのだろう。

  光り物()きでばばあで汗かきで      伊澤のりこ

 装身具のことでもよいのだが、私は鮨ネタの光り物と読みたい。青光りする鯖や小鰭ばかり握ってもらって頬張る。そしてやたらと汗をかく。六十歳にもならないのに「ばばあ」かと眉を顰める向きもあるかと思うが、半端な年齢だからこそ「ばばあ」だと感じるのではないか。心身ともにすっかり枯れたら、わざわざそう言う必要もないのだ。

  あしゆびに淡き昂り昼寝覚        辻内 京子

 前の句の伊澤さんと辻内さんは同世代。印象はずいぶん違うが、こちらもその年代ならではのわが身の感覚を捉えたものだ。まだ半ば夢の中にあるような足の指の淡い昂り。若い頃の直截な昂りではないが、その淡い昂りを大事に思う作者の気持ちは分かる気がする。年齢とともに変化する心身は、当人には一生に一度しか経験できない題材なのだ。

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