今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  流景の門司港にありソーダ水       芹沢 常子

 漢和辞典で「流」を引くと、熟語に「流景」があって「落日のけしき」とある。この言葉の美しさに私は参ってしまったのである。門司港という地名との相性もよい。門司はかつて交通の要衝として栄え、ネオ・ルネサンス様式の門司港駅を初めとして明治時代以来の建築が往時を偲ばせるものの、今は時間の流れから取り残されたような静かな風情で観光客を集めている。そして目の前には多くの船の行き来する関門海峡の速い潮流。その流景だからこそ濃やかな旅愁が生まれる。芹沢さんなら下五を格調高い季語で仕上げることもできたはずだが、作者自身の表情の浮かぶソーダ水でまとめたことが結果としてよかったと思う。
 それにしてもどうして流景が落日のけしきなのだろう。流れゆく時間をいちばん強く感じさせるからだろうか。

  夏落葉母の日記の匂せり         山下 桐子

 夏落葉とは常磐木落葉である。椎、樫、樟などの常緑樹は、鬱然と茂った深い木蔭に古葉をはらはらとこぼす。落葉樹の落葉に比べて地味だが、掃き集めると湿った土の匂いにまじってかすかになつかしい香りがする。そのときふいに、これは母の日記の匂いだと思ったのだ。夏落葉のありようが母の生き方そのものと目に映ったのだろうか。あるいは、母と暮らした実家の一場面など思い起こさせるのか。強引な断定だが、作者が母を憶う気持はまっすぐ伝わってきた。

  赤土を喰らひて伸びる竹煮草       瀬下 坐髙

 竹煮草には剥き出しの地面が似合う。例えば山を切り崩した造成地。あるいは崖崩れの跡。夏の日射しを浴びて雑草がたちまちはびこる中、それらを睥睨するように二メートルもの高さにまで育つ。そんな草だから「赤土を喰らひて」には少しも誇張がないと納得できた。作者は炎天下で竹煮草と根競べのように向き合っていたのだろう。そして発想のひらめく瞬間の光を見逃さなかったのだ。

  七癖のひとつせつかちかき氷       山崎 千萩

 無くて七癖という。自分の場合はこのせっかちな性分だ。頭も体もいつも先を急いで前のめりになる。そんな自省を具体的な場面に転じたかき氷の取り合わせがよい。せっかちに匙を使って氷を崩す作者の様子が見えてくるのである。一句の調べも前へ前へとつんのめるようで内容に適っている。

  転ぶなは歩くななのか麦の秋       穴澤 篤子

 年寄は転ぶとすぐ骨を折る。ひとたび骨を折ると、それが寝たきりの始まりになる。だから転ぶなと周囲は繰り返す。しかし、杖を支えに立ちあがったとたん、周りから転ぶな、転ぶなとやられると、それって結局、歩くなってことなの、と言い返したくもなる。麦秋の風景が私を呼んでいるのだ。おせっかいを焼くならもっと親身になって考えよ。上五中七の口語調に率直な思いがこもっている。

  兄嫁と朝の吉野家酔芙蓉         今岡 直孝

 俗世の底に哀愁を漂わす今岡ワールドである。兄嫁と朝から吉野家で牛丼を食うとは、いったいどんな事情なのか。
 酔芙蓉は朝咲いて夕方しぼむ一日花。白いつぼみから八重の白い花を咲かせるが、やがて桃色に染まり、次第に濃くなる。事情は何も説明していないけれど、酒に酔ったようにあでやかだった昨日の花を面影に、今はきよらかに白い花を眺めている。それだけでもう説明は要らないのである。

  県北に嫁ぎし娘青田風          坂根 弘子

 俳句には俳句らしい言葉を使わなければいけない。知らず知らず自分にそんな規制をかけている作者が多い。誰も使っていない言葉がうまく生かせたら、それこそ大きな手柄だというのに……。やや特殊な言葉ではあるが、この句は県北がよい。ケンポクと読むのだろう。広島県に限らずとも、県北と言い、青田風と言えば、嫁ぎ先の様子が自ずと見えてくる。なぜか県南では様にならない。県北がよいのである。

  またもがく蠅にもどりてながれけり    栗原 修二

 写生句である。水に落ちた蠅が流れていく。もがいていた蠅が暫時動きを止めた。しずかにスーッと流れていく。それがまた思い出したようにもがき始めた。それでも流れていくことには変わりはない。最後の「けり」が救いようのない状況のまま蠅を突き放す。この始終をじっと見ている作者の目が恐ろしい。すぐれた写生句にはそういうところがある。

  山どつと集落襲ふ出水かな        渡辺 京子

 七月上旬の豪雨災害で日田の渡辺さんも被害を受けた。「山どつと集落襲ふ」は私たちが出水の季語から想像して詠む洪水の情景とはまったく違う。しかし、それが現実であることをテレビの映像で思い知らされた。現場でそれを目の当たりにした恐ろしさは如何ほどだったか。それでも俳句に書き留めた俳人魂に敬意を表したい。

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