今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  寒紅引き黒髪に血を通はする       久保いさを

 化粧という行為に賭ける女の情念に慄然とさせられる一句である。白粉を刷き、眉を描き、そして唇に紅を引く。美しくあろうという思いは、血の通うはずのない黒髪にも血を通わせ、いきいきと艶めかせるのだ。
 女は一生のうちにいったいどれほどの時間を化粧に費やすのだろう。毎日繰り返される日常でありながら、そこには日常そのものから変容しようとする意志が隠れている。鏡の中にわが身を置いた瞬間、女は女であることに目覚める。
 多くの人が作者は女性だと思い込んだからか、句会では久保さんの名乗りに苦笑めいた声が上がった。しかし、この句は男の句でよいのである。日常にまぎれて女自身は忘れている化粧という行為の本質に、傍で見ている男だからこそ鳥肌の立つような畏怖を覚えたのである。

  繭ごもりめく雪籠文紡ぐ         島田 星花

 この冬の北陸は大雪に見舞われたから、まさに雪籠りという印象だっただろう。深い雪に閉ざされた家に籠ると、まるで白い繭の中に籠っているようだ。その見立てはさして斬新とも言えないが、一歩踏み込んだのが「文紡ぐ」である。繭から糸を紡ぎ出すように文をしたためる。「繭」と「紡ぐ」が縁語をなすことで、一句に古典的な香りが立つのである。
 「繭籠」が源氏物語にも使われた古語であることも、この句に重層的なイメージをもたらす。蚕が繭に籠ることになぞらえて、少女が深窓に籠ることを繭籠りと称した。蚕と少女、そして作者自身、三者が渾然となって雪の中に幻想的な気配を漂わせる。

  巻尺の端持たさるる春の家        永井惠美子

 季語別鷹俳句集アプリで「春の家」を検索すると次の三句が出てきた。
  夕ぐれのづかづかと来し春の家      藤田 湘子
  彗星に枢落して春の家          土屋 未知
  大泣きの子の出で来たる春の家      市川  葉
 「春の家」という季語はない。これらはいずれも「春」の句なのだが、どれもいかにも春の家らしい。春の家にも季語としての本意めいたものが生まれつつあるようだ。
 永井さんの句は、これら三句に比べると拍子抜けするほど軽いが、やはり春の家らしいのである。春は引越の季節。家具を配置したり、カーテンを誂えたりするのに、巻尺は欠かせない。作者は引越の主体ではなく、手伝いに来ただけらしい。巻尺の端を持たされたまま、家のあちこちへ引っ張られて行く。その姿は可笑しいけれど、とてもよくわかる。

  浅沓の(こみ)の白絹春氷           氣多 驚子

 浅沓はもともと公卿の履物で、今はもっぱら神官が神事に履くあの歩きにくそうな沓である。足の甲の当たる部分にクッションの白絹が張ってあってこれを込と呼ぶ。浅沓は黒漆塗りなので白い込は清々しく見える。
 専門的なものを俳句に持ち込んでも単なる説明に終わりがちだが、この句は浅沓の黒漆と白絹が照り映え、春とはいえど氷の張るような寒気の下、玉砂利を鳴らして歩む神事の一齣が想像されてなかなかよい。

  波止の灯の真珠いろなる朧かな      山本 良明

 静かな波止場の情景だ。船はもうおらず、人もまばらなのだろう。朧に包まれて灯りが真珠色の光彩を放つ。岸壁を打つ波の音が時折おだやかに聞こえてくる。
 良明さんは先月号に次の句を出している。
  春の日や波止場通の真珠店           良明
 「波止場通の真珠店」という目の付け所がいかにも良明さんらしく、観光客向けに真珠を並べて呼び込みをする店が目に浮かんだ。ここからは私の想像だが、この句を出した後で、そこから派生するように掲句が出来たのではないか。歳時記を繰って朧が目に止まった途端、波止場と真珠と朧の言葉の組み合わせが別の情景を呼び覚ましたのだ。写生は一般的には見たものを詠むのだが、言葉が情景を呼び込んで結果的に写生になることもしばしばある。

  ひとりだけ好きな客ゐる朧かな      渡部まりん

 朧の句をもう一つ。店に飲みに来る客の中にひとりだけ好きな客がいる。いわゆる札(さっ)チョン族の相手は春の人事異動で東京の本社に帰ってしまうかもしれない。そのとき自分はどう出るのだろう。そんな想像にときめきながら、今夜も他愛ない冗談など交わして何事もなく見送り、朧夜のなつかしい気分に包まれるのだ。

  マフラーをバザーに出して恋終はる    皆川 礼子

 恋の終わりを詠むのにこういう手もあったかと感心した。相手からプレゼントされたものか、あるいは渡しそこねた手編みのものか。学校のPTAのバザーでも近所の教会のバザーでもよい。売れずに残っているそのマフラーを見ると、ああ恋は終わったとしみじみ納得できたことだろう。

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