今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  相槌が寝息に変はる月の宿        三代寿美代

 男と女の寝物語である。女が話しかけ、男は相槌をうつ。ふと相槌がないのに気づくと、男はもう寝息を立てている。女は話し足りないが、いつものことだと蒲団をかぶる。「月の宿」と置いたのがよい。宿といっても旅先である必要はない。むしろ自分の家であってよい。自分の家であっても、それを「月の宿」と見ると日常から漂い出す。
 寿美代さんの俳句には境涯性がある。戦後の境涯俳句が貧乏や病気などの不幸を詠ったのと同様に、寿美代さんも自分の不幸を詠い続ける。しかし、不幸であることに自分を甘やかさない。不幸を訴えることによって、前を向いて逆境を生きる推進力を得る。そんなたくましい境涯性だ。寿美代さんの詠む内容のどこまでが事実でどこからが虚構なのかは知らない。しかし、事実であれ、虚構であれ、それが寿美代さんの心の中の真実であることは疑いない。掲句だけなら穏やかな夫婦の幸せを読みとることも出来なくはない。しかし、次の句を伴えば、これはもう紛う方ない寿美代節である。
  蓑虫や元手があれば出てゆける        寿美代
 「元手があれば出てゆける」──こんなことを俳句で言えた人がこれまでいただろうか。

  葛かづら廃家一軒まる呑みに       中島よね子

 「鷹」の俳句は日本の社会の「今」を映してきた。このところ多い材料は空家や更地である。そういえば、それ以前から高層マンション暮らしの俳句が増えていた。人口減少で空家が増える一方、都心ではタワーマンションの建設が引きも切らない。両者は表裏一体なのである。地方に行けば事態はより厳しさを増す。
 この句は「まる呑みに」が容赦ない。葛は日本では秋の七草の一つとして優美な印象もあるが、繁茂力が強く、放っておけば地上すべてを覆い尽くす勢いで増える。海外では固有の生態系を荒らす外来種として悪名高いのだ。蔓で籠を編んだり、根から葛粉を採ったりといった暮らしとともにあった葛に人の手が入らなくなる。人と自然の間に成り立っていた均衡が崩れた途端、自然は一方的に猛威をふるいだす。

  沢跨ぐ七戸の部落葛の花         中村 富夫

 こちらはまだ暮らしの生きている山間の集落である。沢を挟んで七戸の家が点在する。小さな橋を渡って家同士が行き来し、互いに助け合う。「沢跨ぐ」に親しさがある。取り合わせた葛の花は、よね子さんの句とは違って仄かな香りで郷愁を誘う。都会の人のあこがれる田舎暮らしがここにある。しかし、あこがれは都会の人の勝手な幻想であって、現実はよね子さんの句を近未来の予感としておののいている。

  白杖に道が応へる秋気かな        西嶋 景子

 この世界は見方によって印象が変わる。道に白杖をコツコツ響かせながら歩む人がいる。障害物はないかと杖が尋ねると、大丈夫だよと道が応える。なるほどそういう見方もできる。そして、そのような見方をすると、この世界がいたわりに満ちた印象になる。コツコツという音に私たちも励まされる。秋気はずいぶん抑えた季語のあっせんだが、作者はコツコツと響く音を際立たせる以上の何の意味も持ち込みたくなかったのだろう。それでよいと思う。

  角切られ跳ね足高く鹿逃ぐる       吉田 光子

 勢子に押さえつけられ、神官に角を切り落とされる。放たれた鹿は、跳ね上がるように身を起こしてぴょんぴょんと駆け去る。「跳ね足高く」はその様子を簡潔に捉えた写生だ。奈良で昔見た角切を思い出して詠んだのではないか。写生は眼前に対象がなくてもかまわない。よい言葉を伴って思い出すことも写生なのだ。

  笠に着る奴の濁り目油照         梯   寛

 借りがあるこちらの弱みにつけ込んで、無理難題を言ってくるのだろう。どろんと濁った目は、昼間から酒気を帯びているのかもしれない。殴り倒してやりたい気持ちを抑えて握る拳に汗が滲む。
 俳句に詠まれる感情は、すこやかなものが多い。それが悪いわけではないが、私たちの感情は激しい憎しみに逆立つこともある。俳句の題材らしくないと敬遠せず、その感情と向き合って詠んでみるのもよい。この句のように思いがけないリアリティが引き出されることもあるのだ。

  青天に事終へて秋立ちにけり       竹岡 江見

 去る十月十七日に亡くなった作者の最後の投句である。その一ヶ月余り前にくも膜下出血で倒れて意識が戻らなかったので、この句はその前に作られている。九十四歳とはいえ毎月の投句は欠かさず続けていた。なぜこのタイミングで生涯を総括するような句ができたのだろう。最後の投句にはしばしばこういう不思議が起きる。
 なすべきことはなし終えた。立秋の青空を見上げて、江見さんがそう思うことができたのなら幸いである。

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