今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  アルプスとは明るき言葉木の実降る    長岡 美帆

 確かにアルプスは明るい言葉だ。青空を背景にまばゆい雪を被った山々。麓には牧場やお花畑が広がり、三角屋根の家から少女が駈け出す。この言葉の明るさは、喚起される風景の明るさであり、さらに言えば西洋の風物に対する日本人の憧れの明るさでもある。
 言葉それ自体に着目した俳句に次の先例がある。
  皹といふいたさうな言葉かな       富安 風生
 風生の句の老獪さに対して、美帆さんの句はいかにも美帆さんらしい朗らかさ。湘子単独選考の新人賞受賞からもう十七年になるが、美帆さんの着想の鮮度は変わらない。そして、取り合わせた「木の実降る」には確かな成長の跡がある。これは日本アルプスなのだろう。木の実の降る麓から冠雪した峰々を眺めているのだ。実景が目に浮かぶから一句が浮つかない。そして、日本の山脈にアルプスの名をつけた日本人の心根が、この句からは静かに伝わってくる。

  忍冬忌抽斗すつと開きにけり       今野 福子

 石田波郷の忌日は十一月二十一日。空気の乾燥し始める時季だから、「抽斗すつと開きにけり」は季節の感覚として宜える。それと同時に、この描写は作者の心理の隠喩だとも感じられた。人間関係の中で、理解できなかったことが何かのきっかけですっと解る、あるいはずっと胸につかえていたものがすっと消える。波郷は練馬区谷原に家を建てて砂町から移り、この終の住処を忍冬亭と称した。今野さんのこの句には忍冬忌という言い方がよく似合っていると思う。

  秋灯や時差の向うの声高し        山中  望

 秋の夜長。落ち着いて本でも読んでいたか。ところが、海外から電話してきた友人は、旅の興奮もまじって、場違いと思われるほど声が高い。何時だと思っているんだと言いたい気持を抑えて、相手の話に相槌を打つ。
 国際電話やメールで世界との距離は格段に縮まった。それだけに時差を実感する機会も増えた。掲句のように、夜の静けさにいる人と昼の喧騒にいる人が同時に話す場面も当たり前に生じる。現代的な事象をさらりと掬い上げたのがこの句である。時差ボケだけが時差ではないのだ。

  ばつた飛ぶ新築五戸に袋道        細田 義門

 パワービルダーという業界用語がある。敷地三十坪ほどの低価格の一戸建てを売り出す建売住宅業者のこと。この句もパワービルダーの売り出した住宅だと思われる。古い屋敷の消えた更地の真ん中に行き止まりの道を通し、  それに面して三十坪ずつの家が五戸建つ。あちこちで目にする光景だが、「新築五戸に袋道」は簡潔な描写だ。売り出しの幟をかすめてばったが飛ぶ。それが作者の感想でもある。

  撫子や知覧の空の真青なる        西村 五子

 鹿児島県知覧市は特攻隊の出撃基地だったことで知られている。俳句でも知覧と言えば特攻隊がらみの内容が多く、たいていは一本調子の類想にまぎれてしまうのだが、掲句はちょっと違う。それは撫子の花を取り合わせたからだ。
 撫子の咲く先に海原へ広がる空がある。撫子から大和撫子を連想するのは自然なことだろう。作者は撫子の花に、恋人を涙ながらに見送った乙女を重ねているのだ。銃後の女の世界から特攻隊を眺めたことで新しい切口になった。

  西空は(こう)ひといろや神無月        中山 玄彦

 夕日が落ちて、雲一つなく晴れた西の空が夕映えている。中七の「紅ひといろ」がその清澄な美しさをてらいなく伝えている。明方や夕方の空の色はさまざまに詠まれているところだ。例えば次の句。
  初空の藍と茜と満たしあふ.        山口 青邨
 青邨のこの句は新年詠らしい気負いがある。それに対して玄彦さんの句は心静かだ。神無月の物寂しさがよい。ひといろに染まった空が作者の心境そのものとも見える。

桐一葉吾が変心におどろきぬ       清田  檀

 桐一葉の句としてユニークだ。変心とはただの心変わりではない。相手を裏切り欺くという悪いニュアンスが付きまとう。清田さんはそのニュアンスをむしろ生かしたのである。桐一葉は中国の古書の言葉「一葉落ちて天下の秋を知る」に由来する。掲句は自分の心の変化に、我ながら驚いている。それはわが人生の秋を感じさせるものだったのだろう。

秋天やどすんどすんと礎石あり      安東 洋子

 奈良時代は国を挙げて仏教を信仰し、全国に国分寺、国分尼寺が建てられた。現存する建物はないから、今では跡地に礎石だけが残っている。掲句の礎石も古代から黙って据わっているものだろう。「どすんどすん」という動きのあるオノマトペが意表を突く。これは作者の心に響いた音なのだ。見上げればこんな地方にまで大寺を建てた古代の人の心映えに通じるような澄んだ空が広がっている。

桜葉の早や黄ばみけり秋湿        廣瀬 嘉夫

 九月十六日の鷹中央例会で奨励賞に推した句である。地味な印象ながら秋湿という季語に託された季節感がよく捉えられていると感心したのだ。紅葉というには早いが、雨に打たれた桜の樹に黄ばんだ葉が増えた。そのいくつかは公園の砂地に散り敷いている。そぞろに寒さを覚える頃である。
 廣瀬さんは当日欠席だったが、九月二十六日の消印で届いた投句葉書はいつも見慣れた廣瀬さんの字だった。十月十一日逝去、享年八十八。この句を褒めてあげられたことで少しだけ気が休まる。

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