今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  関東平野(がう)(つく)(ばり)の西日かな        山地春眠子

 遮るもののない関東平野の端から端まで余さず西日が照りつけている。地平線に日が沈むまで、肌をじりじり灼き続けるのだ。ビルの建て込んだ都心部から郊外に出ると、こんな関東平野を実感できよう。強突張は業突張と書くことが多いが、それでは人間くさくなり過ぎる。それを嫌っての強突張は、山地さん流の写生なのだ。もう一句、
  枡を吸ふ火男(ひよつとこ)口(ぐち)の暑苦し          春眠子
も写生である。なみなみと注がれた枡酒を零さぬよう、唇を尖らせる男。それを暑苦しいと見る視線は蔑んでいるように見えて、案外そのけちくささに共感してもいるようだ。
 強突張、火男口──こうした言葉で読者の度肝を抜くのは山地さんのトレードマークだが、それが確かな写生に裏打ちされたとき、無類の強さを発揮する。

  八月やピエロは上を向いて泣く      辻内 京子

 「上を向いて泣く」がパントマイムであるピエロの芸の急所を突いている。おいおいと大袈裟に泣いてこそ、その姿を笑ってもらえるのだ。あとは穏当な季語を取り合わせて写生句としてまとめることもできたはずだが、ここに八月をもってきたのは作者として踏み込んだところである。
 読者は当然、抜けるような青空を見上げて日本中がおいおい泣いた敗戦の日の光景を思い起こすだろう。それから七十年以上が過ぎて、あのとき泣いた者のほとんどは死に、残った者も老いた。そんな時代にあらためて八月の意味を問う句になったのである。

  二学期の一時間目の物理かな       山岸 文明

 二学期といっても普通は九月から十二月までの長い期間がある。それを次の句を例句に休暇明の傍題としたのは、『角川俳句大歳時記』の手柄だと称えてよい。
  二学期の窓夕潮に並びたる        藤田 湘子
 湘子のこの句は夏休みが終わった学校の情景と読んでこそ生きる。確かな鑑賞のおかげで生まれた例句なのだ。
 山岸さんの掲句は、その恩恵を享受している。一時間目とは二学期の最初の授業ということなのだ。教科は何でもよさそうなものだが、なぜか物理が似合うと思った。私が物理を苦手としていたからかもしれない。山岸さんの勤め上げた教師生活から実感を込めて思い出されたなつかしい時間が刻まれた句である。

  新涼の帳にふれて目覚めけり       木原  登

 夜の帳という慣用表現があるが、新涼の帳は初見。作者の考案なのだろう。夏の暑さにどうにかして涼気を求める主体的な意識が夏の季語「涼し」を生んだ。それに対して、向うから惜しみなくやってくるのが秋の新涼だ。それはある朝、帳を下したようにもたらされる。
 使い古された夜の帳に、いちいち帳をイメージすることはない。しかし、新涼の帳には、肌にさらりと触れるような新鮮なイメージが立つ。季節に対する感度の鋭さが生んだ見立てだと感心した。

  箱庭の軽き女をつまみけり        川原 風人

 箱庭は江戸時代に流行したそうだが、夏の季語になったのは近代以降だろう。今では廃れた風俗だから空想的、機知的に詠まれやすいようだ。歳時記の例句に「箱庭に北方領土ありにけり 小原啄葉」があるのには驚いた。
 掲句は入会して日の浅い若い作者のものだが、箱庭の句としてなかなか味がある。小さな作り物の女であれば確かに軽いだろう。それと同時に、この句は女という存在に対する青春の屈折を暗示するようでもある。季語の箱庭とは関係ないが、心理療法の一つに箱庭療法というものがあるそうで、なんとなくそんなことも思い合わせて読んだ。

  ここへきて老年迷子草の花        千光寺昭子

 この先どうして生きていこうか。若い頃ならもう一度暮らしを立て直すこともできたろうが、この年になっては途方に暮れるばかり。「ここへきて老年迷子」とはそういうことなのだろう。秋草の咲き乱れる野を一人ぼっちでさまようような心細さだ。同時に投句された、
  取り外す襖四枚通夜の月            昭子
がその原因を示していようか。事情を知らずとも、「老年迷子」の率直な言葉には胸を突かれる人が多いことと思う。

海側の席に妻子や秋の旅         酒井 游山
子は眠り妻と夜風に避暑名残       田中 伸明

 私より一回り、二回り若い現役世代の家族の詩である。
 列車のボックス席の窓側に妻子を坐らせ、自分は文庫本など広げている。海が見えたとよろこぶ様子に本から目を上げる。そのとき作者の目に映ったものが、私自身の家族の光景として頭の中に甦るようだ。宿に着き、夕食を済ませて、はしゃぎ疲れた子供が寝ついた後の夫婦の時間。これもまた私自身の懐旧となって胸に漣を立てる。

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