今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  魚籠干して書にまどろめり石蕗の花    岡本 雅洸

 うらやむべき閑寂。魚釣から帰って縁側に魚籠を干し、つわぶきの咲く庭を眺めながら書を紐解く。
 文人画家富岡鉄斎が「万巻の書を読み、万里の路を行く」を座右の銘としたことはよく知られているが、雅洸さんのこの句にそんな気負いは微塵もない。大雅・蕪村合作の十便十宜図の一枚に入り込んだような気分だ。穏やかに自足してこの地の暮らしを心置きなく楽しむ。
 といっても霞を食って生きているわけではなく、血気がすっかり失せたわけでもない。
  数へ日や献血に脱ぐ作業服           雅洸
  獲物の毛挘る寒雲みつしりと
 こうした句が一方にあっての掲句の仙境。森の人たる雅洸さんの面目躍如である。

  枯園に火傷の痕を見せられき       桐山 太志

 いかなる人間関係だろうか。ふだんは人目につかない火傷の痕を相手から見せられたのだ。それによって相手の何かを背負ってしまった。作者自身がそう感じているおののきがこの句には滲み出ている。枯園と火傷の痕は意表を突いた組み合わせだが、枯園だからこそなまなましさが匂い立つ。引っ攣れた皮膚がどこか花弁を思わせる。
 枯園を二人の置かれた境遇、火傷の痕を相手の過去と読めば、この句の情景は人生そのものを表しているようにも見える。ただ、安易には解釈せず、この不思議なシチュエーションを息を呑んで見つめているのがよかろう。

  欠勤のままの退職冬さうび        黒澤あき緒

 ある日突然同僚が会社に来なくなる。メンタルダウンらしい、と漏れ聞こえてくる。過重労働やパワハラがなかったか調査され、上司は家を訪ねて相談を重ねるが、結局数か月後に退職。現代の職場ではめずらしくない事象である。
  電話メモの紙片いくつも貼られあり欠勤つづく男の机
                              吉川 宏志
 この短歌も同様の状況を描いている。会社という機械の中で一人の男の歯車が停まってもまわりの歯車は停まれない。男の歯車はまもなく別の歯車に取り換えられるだろう。
 吉川さんの短歌は連作をなして状況の推移とそれに関わる作者の心理を克明に描く。読者は社会派のルポルタージュを読むようにその事情に分け入る。短歌にはそれができるが、俳句ではむずかしい。掲句の上五中七は、読者の周りにもこんなことがないかと提示しただけである。具体的な状況は読者の記憶や経験に委ねられている。そのうえで作者は自分の思いとして季語だけを差し出す。この冬の薔薇をどう受け止めるかも読者に委ねられている。だから俳句はたった五七五で成り立つことができる。

  山毛欅伐りて山匂ひけり冬はじめ     西條 裕子

 ブナは日本の山地を代表する落葉樹だ。大樹が森をなして新緑から黄落まで季節ごとの美しさを見せる。裸木となった冬の姿も神々しいばかり。
  斧入れて香におどろくや冬木立         蕪村
 蕪村の著名なこの句は冬だからこそ鮮烈な香りに驚いたのだが、掲句は一歩進めて、山そのものが匂ったと捉えた。その大らかな感覚は、ブナという樹の大らかさに通じる。ブナだからこその一句なのである。

  思ひ出し笑ひの如きおでんかな      坂本  空

 ぞんざいに投げ出したような比喩だから、三人に一人おもしろいと言う人がいればそれで良しというところか。私はおもしろいと思ったのである。おでんの鍋の底には玉子やら大根やら蒟蒻やらが沈んでいる。それらを探し当てたときの感じがとりあえず「思ひ出し笑ひ」の比喩の手掛かりになるのだろう。理詰めの比喩ではないからこちらも理詰めで頑張る必要もない。肩の力を抜いてこの比喩を受け容れれば、なんとなくおでんとは思い出し笑いのような食べものだなあと思われて、それこそ思い出し笑いをしたくもなる。

  野に山に枯みなぎりて醇乎たり      奥坂 まや

 衰えることと一般にイメージされる「枯」が「みなぎる」という把握に先ず発想の逆転がある。一面の枯野、あるいは葉を落とし尽くした落葉樹林を想像してみよう。枯とは次の春を迎えるためにいったんリセットされた姿なのだ。醇乎を辞書で引くと「まじりけのないさま」とある。リセットされて無垢になった状態。しかし、それは無味乾燥なものではない。醇乎の醇は芳醇の醇。馥郁たる吟醸の香りである。季節とともに移ろう生命のありようにとりわけ拘ってきた作者ならではの一句と言えよう。そして次の句。
  洗はれて意気軒昂の大根かな          まや
 擬人化によってものの本質を抉り出すのは作者の得意とするところだが、掲句はもはや怪作と呼びたい出来栄え。この大根はまぎれもなく大根そのものなのだけれど、性的なメタファーとしての迫力もまた抜きん出ている。

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