今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  スーパーの長きレシート冬に入る     龍野よし絵

 日常のなんでもない些事が季語の力を借りて詩になる。俳句はそのような僥倖をふんだんにもたらしてくれる文芸である。しかし、些事がただの些事で終わる例も数知れない。些事が詩になるのは、その些事が読者の経験を呼び覚ましてくれたときである。そのとき、呼び覚まされるものはその些事だけではない。些事を契機に読者の人生のある一場面が呼び覚まされるのである。
 スーパーのレシートが長いというのは、つまりたくさんのものを買ったのだ。スーパーの籠が二ついっぱいになるくらい買えばレシートはかなりの長さになる。ここで「冬に入る」の季語が働く。家に籠りがちになってついつい買い物に出る間隔が空く。だから買い溜めしがちになる。それに加えて今夜は鍋物だとでもなると品数は増える。そんなときのレシートの長さは誰しも経験していることだ。レジ袋から葱や大根の葉がとび出している。そろそろわが家も鍋だな、私はこの句を読んでそう思わずにいられないのである。

  長き夜や患者しづかに漂流す       羽村 良宜

 石田波郷が清瀬の療養所で詠んだ句がある。
  病む六人一寒燈を消すとき来          波郷
 療養所の消灯は夜九時だった。
 〈燈を消せばもう本もよめず、余り話も出来ぬ。すぐ眠れゝばよいが大ていは眠れない。いやでもたつた一人で暗黒の中で宿命の病愁に直面しなければならぬのである。〉
 羽村さんの句を読んで、私は波郷のこの自句自解を思い出した。患者はおのおののベッドに身を横たえたまま、櫂をなくした舟のように漂流するのである。患者の心の風景を覗き込んだような「漂流す」の一語が、波郷の時代とはまた違った、現代の病院における孤独を言いとめている。

  ゆきあひの空やゆつくり命減る      古田 京子

 去る十月二十四日に亡くなった古田さんの最後の投句である。字は少々乱れていたが古田さん自身のものだった。
 「ゆきあひの空」は新古今集に典拠がある。
  夏衣かたへ涼しくなりぬなり夜や更けぬらむゆきあひの空                  前大僧正慈円
 空を夏と秋が行き合う。行き合いの空とは、目には見えない季節の入れ替わりを心で見ているような言葉である。古田さんはこの言葉が好きでいつか自分の俳句に使ってみたいと思っていたに違いない。そして、古田さんの人生でこの言葉がもっとも美しく響くそのときを心静かに迎えたのだ。

  秋燕やフェリー乗場の煽り波       岡﨑くみ子

 荒波というほどではないものの、岸壁を煽るように波が繰り返し打ちつけている。風が強いせいだろう。その風を切って、間もなく南の国へ旅立つ燕が飛び交う。
 煽り波は作者の造語だろうか。これがなかなかよい。船旅には陸路とは違った昂揚と不安がある。煽り波は作者の心理の投影でもある。季語の秋燕が別離をほのめかすようであるのもおもしろい。

  鶏鳴の火を吐くごとし若冲忌       石井 祥子

 昨今の若冲人気はすさまじくて展覧会は長蛇の列をなす。そのせいか「鷹」の投句でも若冲の鶏を詠んだ句をずいぶん見るようになった。ほとんどは展覧会に行った報告に終わっていて、もう十年も前に山地さんが若冲に堂々と張り合ってみせた次の句に迫るようなものはおよそない。
  若冲の鶏鏗(かう)々(かう)と秋を啼く           春眠子
 若冲の鶏は詠んでも無駄だと思いかけていたところ、石井さんの句に出会い、こういう手口もあったかと感心した。若冲の絵の鶏を詠んでいるのではなく、眼前の鶏に若冲忌を取り合わせている。「鶏鳴の火を吐くごとし」の比喩には気負いがあるが、それが若冲忌だと言われると釣り合う。眼前の光景から若冲の絵の世界に入り込むような気分がある。

  そぞろ寒佐介が谷(やつ)に栗鼠走る    飯島美智子

 地名の利いた句だと思う。誰でも知っているという地名ではない。そのような地名であっても、字面に味があって一句の中に調べよく据わると思いがけない効果を生む。
 谷(やつ)というからには鎌倉だろうと想像がつく。そして佐介というのが人の名のようでなつかしい。ちなみに現在の住所表示では佐助と書く。この句を読んで歩いてみたくなった。

  若き日は突走りけり唐辛子       梯   寛

 単刀直入な懐旧がすがすがしい。齧れば火を噴きそうな真っ赤な唐辛子が、若き日の作者の鉄火な性格を連想させる。それに比べて今はまるくなったものだ。軒に干した唐辛子に穏やかな日が差している。

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  蓮の実の飛んで男の悩み事        中村 哲乎

 丁寧に鑑賞する句でもなかろう。「蓮の実の飛んで」の導入部がなんともおかしくあわれである。

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