今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  秋暑し峙てて売るスポーツ紙       西嶋 景子

 駅の売店は限られたスペースに効率よく商品を並べなければならない。新聞は場所をとらぬよう各紙ごとに筒状に立てて売られている。スポーツ新聞は派手な見出しがズラッと並ぶように少しずつせり上げて一際高い筒をなす。客はその天辺の一部をスッと抜いて買うのだ。
 掲句はその光景を「峙てて売る」と捉えた。季語も悪くないけれど、作者の手柄はほとんど中七に尽きる。ピンと来ない人は駅に行って見てみるとよい。なるほど「峙てて売る」だと感心するだろう。現代のさまざまな光景を俳句でどう切り取るか。作句モードのスイッチを完全にオフにはせずに毎日を過ごすことである。もう少し具体的に言うと言葉の抽斗が開きやすい状態にしておくのだ。すると時として見たものに言葉がとびついてくる僥倖に恵まれる。言葉がとびつかない限り俳人にとって「見た」という行為は未完成だ。言葉によってその光景を読者と共有できたとき、初めて「見た」と言えるのである。

  田を濡らし秋はじまりぬ朝の虹      南 十二国

 雨上がりの朝、田んぼの上に虹が掛かっている。立秋といってもまだ真夏のような暑い日が続くはずだが、今この瞬間、作者は確かに秋の始まったことを実感している。自分の生活圏における季節の移ろいをこのように大らかに捉えるのはこの作者の独擅場と言えよう。雨を言わなかったことにこの句の成功の鍵がありそうだ。雨が田を濡らし、空に虹をもたらしたのだけれど、この句の中では秋そのものが田を濡らしてやって来る。そこに少しの無理も感じられないのがよい。

  一寸(ちよつと)先見ての暮しや草の花        飯田やよ重

 若い頃は何年も先に実現すべき夢に向かってがんばることもできる。しかし、年をとるにつれて「何年も」がだんだん縮まり、やがて一寸先になるのだ。しかし、過去のことばかり懐かしんでいるのでも、今日のことばかり心配しているのでもない。一寸といえども先を見ている暮しが好もしい。季節が来れば草がそれぞれの花をつけるように、人の人生にもいつか大なり小なりそれぞれの褒美がある。作者はそう信じて一寸先を見ながら今日の暮らしに勤しむのだ。

  東京も暑からむ二円貼り足す       安食 亨子

 葉書の料金が五十二円になってから、葉書に二円切手を貼るという句をいったいどれだけ見てきたことだろう。誰かが最初の作者としての栄誉に浴する暇もなく、葉書と二円切手はたちまち類句の山をなした。私は「鷹」でほとんどとっていないし、もはや俳句にはできない材料だと思っていた。
 それだけに掲句には敬服せざるを得なかったのである。今までの句とどこが違うのか。これまでの句が葉書と二円切手という材料に適当な季語をつけたものだったのに対して、掲句には情景がある。そこに作者がいきいきと存在している。「東京も暑からむ」というからには作者の住む地も暑いのだ。それでも相手の身を思いやりながら二円切手をペロリと舐めて葉書に貼る。「二円貼り足す」という思い切り省略した言い方もこの句の実感を強めているように思う。

  熱砂の果銃携へて銃に死す        藤咲 光正

 世界中で銃を持たない市民が戦争やテロに巻き込まれて死んでいる。それも憤ろしいことだが、作者はそれ以上にわざわざ銃を携えて銃に死ぬ者にやりきれない思いを抱くのだ。派兵された若者が銃を携えて戦地に赴く。その一方で、テロ組織に多くの若者が馳せ参じている。銃を携えなければ銃に死ぬこともなかったであろう若者たちを作者は思うのだ。

  豊年や寄つてたかつて嬰あやす      橋本 耕二

 「寄つてたかつて」がその場の様子を彷彿とさせる。大人が交代で覗き込んでいないいないばあなど繰り返す。赤ん坊が耐え切れずに泣き出すのも時間の問題である。この句の背景には少子高齢化の地方社会があるのだと感じる。「豊年や」という上五の味わいはけっして単純ではない。

  はいと言ひはいはいと言ひ猫じやらし 木村ジャスミン

 「はいはい」と気安く請け負う感じからなのか、快諾することを二つ返事と言う。しかし、私たちが使う「はいはい」は多くの場合、快諾とは違うニュアンスを含んでいる。そのあたりの機微を捉えて日常の一場面を描いたユニークな俳句である。相手に言われて「はい」と答えた。それでもくどく念を押すので「はいはい」と返した。取り合わせの「猫じやらし」に相手をやり過ごそうとする作者が重なって見える。

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  啄木鳥が来さうな喫茶店にをり      東 砂都市

 ログハウス風の喫茶店でコーヒーを味わいながら壁の木組みなど眺めていたらふと啄木鳥が来そうな気がしたというくらいに読んでおきたい。だから季語の啄木鳥はここにはいない。それでも作者の心の中には秋のひんやりした空気を湛えた森が広がり、今にも啄木鳥がやって来そうなのだ。

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