今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  夏欅関東は風荒々し          永島 靖子

 いろいろな樹の名前に夏を載せてみて、確かに欅がいちばん似合うと思った。南洋で発生した台風の影響か今日は風が強い。それが荒々しいと見えるのは吹かれるものがあればこそ。武蔵野の名残の欅の大樹が高く大きく樹冠を広げて枝葉をさかんに騒がせているのだ。
 関東というからには関西が対比されていよう。京都の風光に対して関東のそれを野暮ったいと見ながら心を寄せたのは飯島晴子だったが、永島さんのこの句にも、西国に生まれ育ち、それでも関東を永住の地に選ぶこととなった人の、いくぶんあきらめも含んだ愛着が表れているのではないか。

  空蟬のごと息を吐き祖父逝きぬ     南  沙月

 疾風のような呼吸がゆっくりになり、スーッと吐いてそれきり止まった。その一息のあっけない軽さが、枯れ切ったような老人の様子と相まって、まるで空蟬だと作者に思わせたのだ。非情なようだが空蟬を思った心は祖父に通っている。季語を比喩に使っているけれど、それが季語である以上、この句は夏。生気に満ちた蟬の声が外から聞こえてくる。

  夏燕相思の羽をひるがへす       亀山 歌子

 町の家並の軒先に巣を構えたつがいの燕である。燕を描いて「羽をひるがへす」は平凡だが、「相思の」と形容した途端に、パートナーを得た燕たちにとって、飛び交わすことが幸福そのものなのだと感じられる。次の世代へ命をつなぐ若々しい営みを祝福して慈愛に満ちた一句。

  とどまらぬ雲よ心よ業平忌       藤田沙奈恵

 上五中七は甘い感傷である。しかし、業平忌が置かれると甘さが一人よがりでなくなる。遠く離れた東京への思いと取りとめのない恋心が、作者の暮らす北の空へ、そして業平が仰いだであろう古の空へと解き放たれていくようだ。

  苧殻折る風しんみりとうしろより    田谷 敬子

 門火を焚こうと苧殻を折る。この上五に手柄がある。「迎火や」「送火や」でも悪くはないが、それだと中七下五が取ってつけたような感じになる。苧殻を折る動作から一続きの叙景となってこそ、しみじみとした哀感が出る。

  山あひの畦川夏を濁るなり       吉祥 治郎

 「夏を濁るなり」、この大づかみながら生気にあふれたフレーズに惹かれた。田を満たすために引かれた水が、ここ数日の雨で増水して濁っている。川の描写に季語を取り合わせる型通りの作り方ではない一句の勢いが、そのまま川の勢いを私に実感させてくれるのだ。

  六道の辻や下水の蓋灼くる       山本 良明

 六道の辻は祇園の外れのなんでもない庶民的な界隈。これは地味な描写と見えて良明さんらしいとぼけたツッコミがじわりと効いてくる句だ。六道の辻は小野篁が冥界と行き来した井戸があったと伝える。今ならこの下水の蓋でもこじ開けて行くところやろか、ご苦労さんなこっちゃ、と汗を拭き拭きうち眺めているのである。

  ショベルカー瓦礫貪る炎暑かな     酒井 游山

 炎天下のショベルカーの猛々しい作業を目の当たりにして「貪る」という言葉が脳裏を過ったのだろう。東日本大震災の被災地か、あるいは東京オリンピックに向けた建設ラッシュのビルの解体現場か。復興にも建設にも巨額の金が動く。そんな社会的背景も感じさせる「貪る」である。

  電線に全戸繋がる暑さかな       筒井 龍尾

 夏が年々暑くなる。熱中症になるから我慢せずに冷房をつけろと言われる。電気のおかげの冷房だが、この句はそれを喜んでいるわけではあるまい。むしろ冷房などなくても工夫して涼しく暮らしていた時代を懐かしんでいる。
  輝ける都市夏草を懼れけり
 作者の住む筑波研究学園都市だろう。自然を制圧して新しい都市を築いたところから人間と自然の反目が始まった。それは日本人本来の暮らし方ではなかったのではないか。

  終戦の日や真(ま)白(しら)斑(ふ)に檻高し       大島美恵子

 真白斑は鷹の羽根の白い斑紋、または鷹そのもの。この真白斑という呼び方に古雅の味わいがある。檻がどんなに高くとも囚われていることに変わりはない。終戦日を取り合わせたことで、この鷹は日本人の心そのものとも見える。

  トマト熟し十八歳の選挙権       金澤 惠子

 先の参議院選挙から選挙権が十八歳まで引き下げられた。高校生に政治のことがわかるだろうかと大人は危ぶむ。しかし、十八歳ともなれば大人が知らない形で社会につながり、トマトのように真っ赤に熟している。子供だと思ったら大間違いだと作者は危ぶんでいるのではないか。

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