今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  カーテン引き夜を作りぬ業平忌     太田 明美

 カーテンを引いて部屋を暗くする。ホテルの部屋の遮光性の高いカーテンであればたちまち濃い闇が生まれる。それを「夜を作りぬ」とした表現に魅せられた。日常にいながらその日常がゆらりと揺らぐ瞬間がある。カーテンを引いて闇の濃さに驚いたのもその瞬間だろう。しかし、俳句はその揺らぎを言葉で伝えなければならない。「闇を作りぬ」では物足りない。「夜を作りぬ」と言われて初めて日常がふいに表情を変え、それにおののく作者の心情が伝わる。
 この内容に業平忌を取り合わせるのは女性には勇気の要ることだろう。男女関係を匂わせたこの場面が現実であれ、空想であれ、あるいは潜在意識であれ、この取り合わせには日常を揺るがそうとする意志が感じられる。俳句は日常を詩にすることができる。しかし、両足をべったり地につけていてはそれは叶わない。爪先立っていつもと違う視線で世界を見る。それができる作者に成長しただけに、今号を最後に退会するのが惜しまれる。

  いつもより身近に妻や更衣       安方 墨子

 箪笥の引出の冬服を夏服に入れ替え、すがすがしい服装で夏を迎える。初夏の空気を肌にじかに感じると、身の回りのものが寄り添ってくるように思われる。いつも身近にいる妻が、より身近に感じられる。さりげなく詠んでいるが、これは更衣の気分をよく捉えていると思った。
 この投句の裏書に、頭を立てておくのは二時間が限度だと体調の苦しさが記されていた。だからこそいっそう妻が身近なのだ。不自由な作者の視界をかいがいしく立ち働く妻が肌身に添うように慕わしく思われるのだろう。

  美しき落し文あり夕日坂        亀山 歌子

 私の住まいは六甲山の山麓にあたるが、若葉の季節には山道に落し文を見つけることができる。みずみずしい葉に包まれた落し文は優美なその名にふさわしく美しい。しかし、それを美しいと言っては始まらない、というのが俳句表現のセオリーのはずだ。ところがこの句、「美しき落し文あり」と真っ正直に詠いながら、最後の「夕日坂」で緊密な一句にまとめあげた。なかなかできない下五である。夕日を受けて地に影を引く落し文は確かに美しい。そしてこの「夕日坂」、どこか作者の晩節の風景そのものとも見えて、作者の人生が祝福されていると感じるのである。

  父の日の湘子をふつと想ひけり     安藤 辰彦

 湘子を偲ぶ句としてユニークである。湘子は私たちにとっては俳句の師だが、家に帰れば妻と娘二人の家庭を営む父であった。国鉄マンと俳人の二足の草鞋で家庭を顧みる時間は乏しかっただろうけれど、湘子はどんな父親だったのか。どんな様子で父の日を迎えたのか。そう考えると湘子が急に親しく感じられる。自分と同じ人間なのだと思われるのだ。

  汗拭いて大事為したる顔をせり     野手 花子

 人間くさい写生である。これは盛夏ともなればどこでも見かける顔だ。どれも実際に大事を為したわけではない。日盛りを買い物から戻った顔、きりのない庭の草取りに励む顔、靴をすり減らして営業に回る顔。ああ、やれやれと汗を拭く顔は、たしかに皆、大事為したる顔である。

  十一や湖炯々と日を返す        林  照子

 十一は別名慈悲心鳥。他の鳥の巣に卵を産む托卵の習性を持つ。同じ習性の郭公、時鳥、筒鳥と同様、声を聞くことが主の季語だ。十一の声は耳をつんざくように高く鋭い。その声が湖に響きわたった。「炯々と」が力強い。日を受けて光り輝いているのだが、眼光炯々という成語を思い出させる。湖自体が見開いた眼だとも見えるのである。

  花氷少女戦士の柩なり         大塚絵里香

 花氷は涼味を楽しむためのもの。しかし、それが美しければ美しいほど残酷に見えないでもない。そんな印象を作者の世代らしい感覚で捉えた句だと言えようか。
 テレビアニメの「美少女戦士セーラームーン」は平成四年から放映された。少女だった作者も夢中で見たのだろう。そののち美少女戦士という偶像はアニメからゲームまで幅広く浸透した。彼女たちは概ねあどけない顔に似合わぬ大きな乳房を持ち、戦士とは思われぬほど肌を露出して闘う。そんな少女戦士の亡骸が氷漬けになっているという幻視には花氷の本質を抉り出す衝撃がある。それはどこか、作者自身の内なる「少女」を葬る儀式でもあるように思われた。

  月見草川原の道は川へ消ゆ       北裏 舞千

 草に覆われた川原が暮れてひとすじの道がしろじろと続いている。作者はその道を辿って川岸に出たのだろう。月見草を揺らして風が吹き抜ける。わずかな違いだが「川に消ゆ」ではなく「川へ消ゆ」としたことで異界を垣間見せた。川の中になお道が続いているような幻想に誘われるのである。

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