今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  鳴物も波音もなし宝舟         沖  あき

 生活・行事の季語を突き詰めて私たち人間の営みの根源的なあわれを見通す。たやすいことではないが、「鷹」でもそのような俳句を折々見てみたいと思っている。
 宝舟は新年の季語。枕の下に敷くとよい初夢が見られるという刷物で、七福神と宝物を載せた舟が帆を上げて海原を渡る。いかにもめでたく賑々しい絵柄である。しかし、実際に敷いて枕に頭を載せても、夜はしんしんと更けるばかり。静けさの中に一人取り残されたような心許ない気分になる。 この世のことはともかく、せめて初夢くらいは縁起よくありたい。そんな願いの籠もった宝舟だが、実際は薄っぺらな紙切れに過ぎないのだ。その儚さが「鳴物も波音もなし」に言い止められている。
 それでも、「なし」と否定してなお、やがて鳴物と波の響きが彼方から聞こえてくる。この世の憂さを束の間離れて、夢の世界へ寝落ちていくのである。

  着ぶくれて横断幕と行進す       野田まち子

 世相を詠み、社会を詠む。それが俳句作品として成功を収めるためには、マスコミの流す常識的な言葉を借りず、作者自身の写生の目と批評精神を持つことが必要なのだと思う。掲句の場合で言えば、「着ぶくれて」に批評精神、「横断幕と行進す」に写生の目が窺われる。
 東日本大震災後の原発反対のデモは、少なくともその人数の多さによって印象に残った。外国でも日本でも、最近のデモは五六人で横断幕を胸の高さに掲げて歩くのが定番のようだ。抗議活動とはいえ、風邪など引かぬようしっかり厚着をする。かつてのデモはプラカードや旗を掲げ、どうかすると石や火炎瓶を懐にしのばせて、少なくとも本人たちは命懸けであった。今のデモがいい加減だというのではない。時代は変わったものだ、作者はこの句にそう言わせているのだ。

  十字架に霜の郊外眠りたる       久保田恵子

 ようやく夜も明けようとする頃、地上には真っ白に霜が降り、人々はまだ深い眠りの中にある。教会の尖塔の上の十字架が、その様子を見下ろすように立っている。欧米のどこかで見た光景なのかもしれない。
 「霜の郊外」が簡潔で巧みな表現だ。藤田湘子の『20週俳句入門』で勉強する「鷹」の作者は、湘子の示す四つの型に当てはまる三音、四音、五音の季語はうまく使うが、二音の季語はとたんに扱いに困る。困るからこそ、その先に掲句のような自分で工夫した表現が生まれる。困るから使わないと言って楽ばかりしていてはだめなのだ。

  早春や波聴くやうに駅に立ち      岸  孝信

 早春の海辺に立つ。白い波頭を立てて波が寄せる。目を瞑ってそれを迎える。波の走る音、崩れる音、そして引く音。波の音はどこか見知らぬ遠くへと私たちの心をいざなう。
 しかし、掲句は海辺ではない。いつも使うなんの変哲もない駅である。そう読まないと「波聴くやうに」は比喩として生きないだろう。作者は大学の仕事を終え、これから第二の人生をたっぷり楽しめるらしい。そんな境遇が背中を押しての比喩だろう。この句の発端は実際に駅のホームに立ったときふと沸いた感慨なのだろうけれど、一句に収まったその駅もまた、人生の何かの比喩のように見える。

  かんにんと小声で言へり花の雨     德田じゆん

 そうは書いてないと言われるに違いないが、私にはこの声は相手に届いていないと思われた。謝って縒りを戻せるものではない。去っていく相手の背中に向けられた「かんにん」である。花の雨がそんな連想を誘う。

  犬死んで家売りに出す冬の草      荒木かず枝

 独り暮らしはもうしんどくなってきたが、犬がいるから施設には入れない、あるいは息子のマンションには移れない。そんな事情は容易に想像できる。その犬が死んでやっと家にふんぎりがついたのだ。冬の草が愛犬と一緒に守った家の記憶をつつましく彩る。

  朧夜の僧兵谷を越えゆけり       市川  葉

 葉さんは亡くなる前日の夕方に家族の助けを借りて「鷹」に最後の投句をした。その前日には鷹の仲間を呼んで葬式の打ち合わせをし、「ああ、葬儀の様子が見える」と呟いたそうだ。それに先立ち一月には『市川葉俳句集成』が出来上がった。すべては図ったように進んだ。

  はくれんが散るさやうならさやうなら      葉

 今回の投句の最後はこの句。葉さんが私たちに用意したまぎれもない辞世の句である。
 それに比べて掲句は唐突な印象がある。けれども、私はこの句の情景にひどく引き込まれた。この句はまわりに誰もいないときに葉さんがふと見せた真顔のように思われてならない。朧夜の谷を越えて行った僧兵は、死を覚悟した葉さんにとって何だったのだろう。

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