今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  蛍みる幼に蛍とまりけり        宮本 八奈

 やっと物心がついたかどうかという幼子なのだと思う。初めて見る不思議な光のたわむれに、きょとんと眼を開いている。ついてきた作者のことなど忘れてしまったようだ。
 見れば蛍が一つ幼子の肩にとまって光っている。幼子はそれに気づいていない。「ほら、ここに蛍が──」、呼びかけようとして思いとどまる。たった一人でこの世に向き合う幼子の姿を、もう少し見ておきたいと思ったのだ。幼子はじきに分別がついてこの世に慣れてしまう。蛍の光などめずらしいとも思わなくなる。その前の姿をしっかり覚えておいてやりたいと思ったのだ。
 いとけない者に寄せる宮本さんの心に惹かれる。

  少年の自死の汀や草の花           八奈

 宮本さんの家に近い牛久沼のどこかにこの汀はあるのだろう。最近のことかもしれないし、ずっと昔のことかもしれない。いずれにせよ、宮本さんにとってその汀は、自分が死ぬまでけっして忘れてはならない汀なのだろう。

  抱一の画集めくりぬ月の雨       砂金 祐年

 風呂も晩飯も済ませた作者は寛いで酒井抱一の画集を眺めている。電灯の光が画集のつややかなページに照る。傍らでウィスキーの氷が溶けて小さな音を立てる。そんな贅沢な気分にさせてくれるのが下五の「月の雨」である。あいにくの空模様で中秋の名月は見えないらしい。
 この句に似合うのは銀屏に描かれた草花図だろう。琳派の画業は俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一の系譜に代表されるが、時代の異なる三人を結ぶのは私淑の関係である。宗達に私淑した光琳は、宗達の風神雷神図を模写した。光琳に私淑した抱一は、光琳の模写した風神雷神図の裏に銀箔を貼り風雨の中の草花を描いた。葛、芒、野葡萄、そして藤袴。外の風雨が硝子窓を鳴らすほど強まるにつれ、作者はいよいよこの絵の世界に心を引き込まれていく。

  水巴忌や蓮吹く夜風ふところに     矢野 修一

 渡辺水巴は大正期のホトトギスの中でもとりわけ美意識に秀でた作風で知られた。それは日本画家の渡辺省亭を父に持つことと無関係ではあるまい。掲句の気分はいかにも水巴忌らしい。水巴の命日は八月十三日。不忍池だろうか。蓮の葉を揺さぶって風が水面を渡ってくる。鈍色の夜陰に沈んで花の色は見えない。「ふところに」というからには和服である。一雨きそうだな、そう思いつつどこへ向かうのか。
 壮年という言葉を今はほとんど聞くことがない。青年はいつのまにか中年になり老人になる。砂金さん、矢野さんの両句に共通するのは壮年の面持ちである。四十歳前後の彼らがそうした指向を持つのは悪くない。それがたとえ俳句の世界でだけ実現する憧れのようなものであっても。

  満月や紐に通して干すビブス      竹岡佐緒理

 名前は知らないが見たことはある。世の中にはそういうものが意外とあるものだ。敵味方に分かれたサッカー選手がゼッケン代わりに背番号のついたチョッキ状のものをかぶる。イベントのスタッフや被災地支援のボランティアが揃いで身につけているのも見かける。あれがビブスである。
 新しい素材をめずらしがるだけでは俳句にならない。この句、「紐に通して干す」という描写が利いている。洗濯紐を張って並べ干してあるのだろう。ビブスの裾からしたたる雫が満月の光を宿している。

  裕明に霧一句露二十余句        栗原 修二

 さっそく私の本棚の『田中裕明全句集』を開き、季語別索引を見ると、確かに霧の句は一句、露の句は二十余句並んでいた。たまたまそれに気づいた栗原さんは、それが裕明の句業そのもの、あるいは人生そのものを象徴するように思われたのだろう。私もそれに深く共感するのである。

  生年と歿年の間露けしや           裕明

 私より一歳年長の田中さんが白血病のため四十五歳で亡くなって十年余り。ますます懐かしい人である。

  二百十日攩にひかりて魚小さし     小竹万里子

 浅い流れで子どもたちが魚をとっている。作者は岸に立ってそれを見守っている。やみくもに掬った網の底を子どもと一緒に覗くと、数尾の小さな魚が跳ねた。巧い描写だなあ、と感心した一句である。二百十日の季語もよい。まだ残暑はきびしいが、水辺の光には秋の到来が感じられるのだ。

  流氓にひとしく月の上りたる      島田みづ代

 流氓という言葉は、作者の詩嚢に長く蓄えられていたものではないかと想像する。いよいよ一句にしようと思ったきっかけは、シリアからヨーロッパを目指す難民の映像だろう。野宿を余儀なくされた彼らのキャンプの様子が想像される。しかし、この句には流氓の一語が作者の心に長年醸してきた風景も投影されているようだ。時事俳句であるにとどまらない普遍的な民族の悲しみが描き出されていると感じる。

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