今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  風鈴や我が家に停まる救急車      細谷ふみを

 この句の風鈴、どことなく映画のワンカットのようでもある。家族に急病人が出て救急車を呼ぶ。ばたばたと患者を運び込んで救急車が出て行った後、打って変わって静かになった家の中。そこで、軒の風鈴が映し出されて、何事もなかったようにチリーンと涼しげな音を響かせる。
 風鈴はいわば変わらぬ日常である。緊迫した状況にその日常が大きく揺らいでも、それはいつも通りの平穏な時間のままそこに存在する。それがあまりに日常的であるがゆえに、事件を挟んで、その日常が実はまったく違ったものになってしまったことに否応なく気づかされるようだ。
 「我が家に停まる救急車」という他人事のような描写が、事態をまだ心底飲みこめない作者の戸惑いを伝える。日常と非日常の行き違う瞬間の空気を捉えた一句である。

  樹下涼し片手揺すりに乳母車      鈴木 雅貴

 木蔭に乳母車を停めて傍らのベンチに坐っているのだろう。片手でスマホを操り、片手で乳母車を揺すって赤ん坊をあやす。それが作者自身であってもよいが、たまたま公園で居合わせた見知らぬ若い母親だと読みたい。母親の顔を一心に見ていた赤ん坊はやがて寝入ってしまう。作者は向かいのベンチで本を広げながら、ときどきその母と子に目を遣る。
 覚えているはずもないのに、自分が赤ん坊だった頃の母との関係に思いを誘われる句である。乳母車という古風な言い方のせいだろうか。「樹下涼し」の上五が今この時しかない母と子の時間というものを感じさせる。

  朝焼や轍に傾ぐ集乳車         中島よね子

 材料に過不足がない。五七五の俳句の空間をちょうどよい大きさだと納得させてくれる句だ。かといってけっして平板ではない。材料は地味だけれど、「轍に傾ぐ」というところに作者の目がいきいきと働いているから、情景全体が息づくのだ。そういうポイントを捉えられるかどうかで、句の出来栄えは大きく変わってくるのである。朝露にしめった牧場の草の匂いがしてきそうな気がする。

  牛乳に野菊の香あり牧日和       花村 愛子

 これも気持の良い牧場のスケッチである。中島さんの句に比べると、「野菊の香あり」というところは主観的な踏込みが強い。多くの作者は草の香りくらいで収めるところだ。その少々強引な主観に確かな説得力を持たせるのが下五の「牧日和」。牧場がよく晴れていることで、野菊の香りだというのが頷ける。さりげなく詠まれているけれど、こんな下五が置けたら俳句作りはずいぶん自由になる。

  甚平や申し合せの休漁日        安食 亨子

 乱獲による漁業資源の枯渇が方々の海で国際的な問題にまでなっている。この句はそんな現状を涼しげに諭すような味わいである。安食さんは出雲の人だから、これは宍道湖あたりだろうか。自然の恵みが与えてくれるものを分相応にありがたくいただく。甚平姿にそんな余裕が見える。

  雲海をおりて人種の坩堝かな      今井美佐子

 人種の坩堝と言えばアメリカ合衆国。成田空港を発って太平洋を渡りニューヨークのJ・F・ケネディ空港に降り立つと、たちまちそのことを実感する。
 季語の雲海は、本来は山から見下ろすものである。飛行機から見る雲海は季節に関わらないから季語とすべきではないという意見もあるだろう。しかし、この句の場合は、雲海という季語の含む朝の清々しさを引き寄せることで成功しているのだと私は思う。一夜のフライトを終えて暁光の下に雲海を見晴るかす。御来迎のように雲海を昇る朝日に、異国へ降り立つ期待の高まりが感じられる。

  翠巒は雨の帳に夕河鹿         戸塚千都子

 いい風景句を読みたい。「鷹」に投句される人事句の佳作の数々を眺めながら、それでも頭のどこかではずっとそう欲している。この句はそんな渇きをしばし潤してくれた。みどりの山々を指す翠巒の漢語、雨の帳の見立て、そして季語の夕河鹿。一つ一つのパーツは際立って個性的なわけでもない。しかし、それが渾然と一句に収まると、(月並みな言い方だが)まるで山水画のような奥行のある風景が眼前に現れる。言葉は組み合わせることによって足し算以上に大きなものを包み込むことができるのだ。

  野あやめに古き箪笥の匂ひかな     有澤 榠樝

 あやめの花にどんな匂いがあるのか確かめたことがないけれど、この句はその具体的な匂いのことを言っているわけではないだろう。野に咲く紫色のあやめ(私は檜扇あやめを思い浮かべた)と着物の詰まった古い箪笥との間に、作者はかすかな水脈のように情緒が通い合うことを発見したのだ。そして、私はそこに誰とも知れぬ一人の女の生きざまを重ねてみたくなるのである。

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