今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  一炊の夢か藻刈の舟すすむ       市川  葉

 「一炊の夢」は唐の小説『枕中記』に拠る。邯鄲の都で栄華を極めた男がふと目を覚ますと、それはすべて粥が炊けるまでの束の間の夢だった。人生の儚さの喩えである。日本では能の『邯鄲』に取り入れられている。
 『枕中記』の主人公廬生の見た夢に比べて、葉さんの夢はただ藻刈の舟が過ぎただけ。なんという寂しさか。呼びかけても舟は止まる様子もない。それがわが人生なのだ。
 この句は古今集の次の歌も踏まえていよう。

  海人の刈る藻にすむ虫の我からと音(ね)をこそ泣かめ世をば恨みじ
                   典侍藤原直子(なほいこ)朝臣

 「海人の刈る藻にすむ虫」は序詞。「割殻」というその虫の名と「我から」を掛けて主題を引き出す。我が身の不運はみな我から招いたことと声をあげて泣きこそすれ、世を恨むことはすまい。この歌そのものは恋歌である。
 しかし、こうした古典の知識は背景に縹渺と棚引かせておけばよい。そのうえで読者一人一人が掲句の景に身を置いてみることだ。余命を蝕む病を匕首のように突きつけられながら何年も歩んできた作者の姿を、そこに見出すことができるだろう。

  船室に家族の時間さくらんぼ      清田  檀

 フェリーの旅だろうか。個室でも、あるいは広い船室の一隅でもよい。家族で同じものを食べ、喋ったりトランプをしたりして、やがて床を並べて眠る。そこに「家族の時間」を見出したのは、ふだんの生活に家族の時間の実感が乏しいことの裏返しなのである。一つ屋根の下に暮らしていても、生活時間はばらばらで一緒に食卓を囲むこともない。家業でまとまった昔の大家族とは違う、現代の核家族のありようである。それだけに船室に見出した家族の時間がかけがえのないものに思われた。その気持ちはさくらんぼにつやつやと現れている。いつもの生活に戻っても、この船室の時間を家族それぞれが心のどこかに持ち続けることだろう。

  活版のバックナンバーさみだるる    春木 燿子

 藤田湘子存命中の「鷹」は活版印刷だった。湘子が亡くなった平成十七年の十二月号が活版の最後である。書物を愛する人は活版印刷の質感を好む。私も「鷹」のバックナンバーを手にするといいなあと思う。「鷹」に限らず、活版のバックナンバーには、その当時の自分を思い出させるものがあるのだろう。「さみだるる」はその時代を懐かしむ作者の感傷である。それでも、ただ昔を懐かしんでいるだけではあるまい。昔は昔として今は前を向こうと雨上がりの空に顔を上げる作者もまた見えてくる気がする。

  郷愁の胸底に湧く泉かな        安川 喜七

 太田明美さんが去年九月号に寄せた巻頭作家のエッセイで次の歌に触れていた。

  湧きいづる泉の水の盛りあがりくづるとすれやなほ盛りあがる
                         窪田 空穂

 松本の開智学校に通う少年時代の空穂は、長い道のりの途中に湧く泉で足を休めた。その泉を後年詠んだのがこの歌。太田さんはその泉を探しに行ったのだが、米作のための排水工事によって疾うに失われていた。空穂のこの歌は私も好きだったから残念に思った。それでも「空穂の歌がある限り泉は湧きつづける」と太田さんは結んでいる。
 掲句の泉は安川さんの故郷に湧く泉なのだろう。今も湧いているものなのかわからないが、こうして詠まれた泉は安川さんが思い出す限り湧き続ける。そして、この句に触発されて、私たちの心の中にもおのおのの思い出の泉が湧き出す。

  黒南風や気根絡みし亀甲墓       大塔 優子

 初めて沖縄を訪ねたとき、本土とは違う風物に新鮮な驚きを覚えた。その一つが墓地。見慣れた墓石の並ぶ墓地とはまったく違う。とりわけ亀甲墓はその大きさと独特な形が異様に映った。大塔さんも亀甲墓を見てリゾート気分が吹っ飛んだのだろう。珊瑚礁の海から重く湿った風が吹きつける墓地で、亀甲墓にマングローブの気根が絡みついている。俳句を知り、黒南風という季語を知っていたからこそ、見聞した驚きを自分のものとして書き留めることができた。
 なお、私を案内してくれた知人は亀甲墓を「かめこうばか」と呼んでいた。許されるならば、掲句の場合は「きっこうぼ」と読みたいところだが。

  窓小さきビジネスホテル鳥ぐもり    西嶋 景子

 最近のビジネスホテルは設備もよくなり快適になった。それでも窓はと言えば決まって小さい。ホテルとビジネスホテルを分けるのは窓の大きさだという発見がまずこの句にはある。しかも、その小さな窓には隣のビルの壁が迫っていたりする。そこにわずかばかりの空が見えた。どんより曇って殺風景このうえないのだが、それを鳥ぐもりと見たとたんに、淡い旅愁をまとった詩情が生まれる。季語の力を信じる俳人への褒美のように。

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