今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  初春や酒に国の名峠の名        永島 靖子

 初春らしく気分のよい句である。「酒に国の名」だけだったら常識の範囲内だろう。「峠の名」と重ねたことでこの句は非凡になった。
 私はなんとなく日本海側の山に囲まれた雪深い地方の地酒を想像する。多くの若者が、いつか故郷に錦を飾ることを夢見て峠を越えたはずだ。他方、さまざまな情報や文化が峠を越えてもたらされたことだろう。この句の広やかな気分は、峠がその先の未知の世界の広がりを感じさせることから生まれるものなのだと思う。読後に頭に浮かぶ国境の峠が雪をかぶってまぶしい。
 永島さんに日本酒の句とは意外だったが、どこの酒と詮索する必要はない。ただ、日々に仰ぐ峠の名を酒に冠した蔵元の心栄えをめでたく味わえばよい。

  雪ふりつむ太郎次郎の捨てし村     上田 鷲也

 言うまでもなく三好達治のたった二行の詩「雪」を踏まえた句である。

  太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
  次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

 私がこの詩を知ったのは中学校の教科書だったろうか。達治が国民的詩人と呼ばれるのは、とりわけこの詩の存在が大きいだろう。日本の原風景という言葉がこれほど似合う詩はない。太郎、次郎は誰と特定される太郎、次郎ではない。日本人そのものなのだ。だから、掲句の「太郎次郎の捨てし村」とは、太郎、次郎が故郷を捨てて都会に出て行ったという意味にとどまらない。これは私たち日本人に捨てられた村なのである。
 達治のこの詩を踏まえた俳句は時折目にするが、上田さんのこの句は一つの決定版とも言えよう。もちろん上田さんの手柄なのだが、多くの村が捨てられていく日本の現実が上田さんの肩を叩いて作らせたものだとも思われる。

  東京へ移す遺骨や山眠る        天地わたる

 上田さんの句に現れた時代の様相は、作者自身の事情に引きつけた形で、天地さんのこの句にも現れている。故郷で墓を守る人がいなくなり、やむを得ず東京に移すことにしたのだ。この句の山はもちろん故郷の山。山懐に抱かれるような墓から見知らぬ都会の墓へと先祖の骨が移される。

  墓立つる寸土を得たり笹子鳴く       わたる

 それを親不孝などと言う勿れ。東京ではわずかな墓地といえども大きな出費を伴う。これでよかったのだ、自分で自分を慰めるような「笹子鳴く」の取り合わせである。

  まろまろと月上げて滝凍つるなり    沖  あき

 自然描写ではあるが西洋の自然描写とは趣が違う。自然は精神の現れである。だから人はそこに神を見る。観想という言葉がこの句には似合う。
 描かれている光景はまるで国宝の那智瀧図そのものだが、この句の印象はより優美である。この句において、凍滝は男性、月は女性を感じさせないか。白光を放つまどかな月は、女性であることを謳歌する作者自身の表象とも見える。

  山眠り谷も静かに従へり        後藤スマ子

 一昨年の暮、私は夜神楽を見に高千穂を訪ねた。高齢の後藤さんは神楽宿には来られなかったが、高千穂のバス停で皆より一足先に帰る私を見送ってくれた。私にはあのときの高千穂の山と谷が目に浮かぶ。
 それ自体が擬人化である「山眠る」という季語に谷の擬人化をもって応えた。大らかななつかしさに包み込まれるような句だ。そこに住む人もまた自然に随順して静かに暮らしているのである。

  寒鯉を分けて寒鯉すすみけり      桐山 太志

 山家の生簀の清らかな水に飼われている寒鯉を想像する。水底に静まっている鯉の群の中を、一尾の鯉が泳いでいく。鰭もほとんど動かさず、まるでロールス・ロイスの発進のようになめらかに水を切る。シンプルな構図であり、シンプルな措辞である。それが平凡にならないのは寒鯉の本意をしっかりとらえているからだろう。

  寒鯉の鱗剥ぐ音響きけり        竹岡 一郎

 月光集同人竹岡君の若き日の一句を思い出した。単純すぎることを恐れずに単純化した決断がそれぞれの句の格調の脊梁を成している。読者に親切に説明しようとすれば、その脊梁は贅肉にまぎれてしまう。

  絵を読みて頁めくる子冬燈       山本 直子

 まだ字の読めない幼子が絵本を見ている。幼子は絵を見ながら自分の頭の中でストーリーを展開しているのだ。「絵を読みて」とはそういうことだろう。母親である作者が、吾が子の紡いでいるストーリーに気づいたときの驚きも伝わる。山本さんは自らの子育てを意欲的に詠んでいる。この句のような新鮮な発見をたくさん届けてほしい。

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