今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  ビルディングごとに組織や日の盛    柳 克弘

 東京に出るたびにあらためて高層ビルディングの増えたことに驚く。かつての百尺規制でビルの高さが三十メートル余りに揃っていた丸の内から大手町にかけての都心部も次々に超高層ビルに建て替わっている。

  新宿ははるかなる墓碑鳥渡る      福永 耕二

 淀橋浄水場跡に忽然と現れた新宿副都心を詠んだこの句は昭和五十三年作。超高層ビル群を詠った先蹤と言えよう。
 掲句は福永の句の感傷とは無縁である。巨大なビルディングにはそれぞれに巨大で複雑な会社の組織がある。ビルディングは無機的に見えても、その中には人間の営みがある。しかし、掲句の捉えた人間の営みはビルディングそのもののように無機的だ。そこに作者の冷めた批評があるのだが、そうした組織から斥けられて生きる者の視線を感じることもできよう。それはバブル崩壊後のここ二十年ほどの間に成人した多くの若者たちの共有する視線でもあるのだと思う。

  ただ白し秋櫻子忌の波がしら      佐武まあ子

  水原秋櫻子の忌日は七月十七日である。しかし、「秋櫻子忌」として詠まれることは稀で、喜雨亭忌、紫陽花忌、あるいは藤田湘子の名付けた群青忌として詠まれることがほとんどである。秋櫻子忌が六音で収まりにくいことに加えて、夏季であることと「秋櫻」の字との違和感も一因だろう。
 だからこそ掲句の「秋櫻子忌」の収まりの見事さに感嘆するのである。

  向日葵の空かがやけり波の群      水原秋櫻子

  絵画好きだった秋櫻子の例えばこんな句が作者の頭にはあっただろうか。しかし、掲句では向日葵の黄も海の群青も拭い去られている。ただ、波の白さだけが秋櫻子へのオマージュとして繰り返し寄せてくるのである。

  諍ひて妻は二階へアマリリス      井出  昇

 同じ作者の今回掲載の他の三句も並べてみよう。

  父の日や馴染の店の雁擬
  くずきりや娶る息子の長電話
  遠雷や気怠く開くる冷蔵庫

 四句まとめて見ると、長らく同居していた息子もようやく結婚が決まり、これから妻と二人で余生を送ることになる男の日々の偶感がありありと伝わってくる。
 妻とのちょっとした言い争いの後、一階に残された作者の目にアマリリスの花の色が妙にあざやかに映る。読者ごとに異なる余韻となって波紋を広げそうな取り合わせだ。

  月光をつめたく許し蛍とぶ       竹岡 江見

 青田や草原を縫って細い流れが続き蛍が飛ぶ。その静かな情景を月の光がひややかに照らしている。「つめたく許し」を景としてみればそういうことだろう。しかし、この独特の措辞は単なる叙景から一歩も二歩も踏み込んでいる。月の光は作者の心の中をもひややかに浸しているのだ。情景と心理が一つになって象徴性の高い作品だが、長く連れ添った長良さんを亡くしたばかりの作者にとっては、それがまぎれもない実感に他ならないのだろう。

  朝顔の花を待たずに転校す       矢野しげ子

 朝顔という素材の使い方が心憎い。この子は一学期を終えて転校したのだろう。クラスでは一人一鉢ずつ朝顔を種から育てていた。夏休みに朝顔が咲くのを日記にして提出するのだが、その花が咲くのを待たずに転校したのである。
 「朝顔の花を待たずに」と言うのだから季語の朝顔が眼前にあるとは示されていないのだけれど、読者の心にはその子の思い出そのもののような朝顔が色鮮やかに浮かぶ。

  東京に吸ひ上げらるるソーダ水     山内 基成

  交通の発達によって地方から都市へ人口や資本が吸い上げられる現象を「ストロー現象」と呼ぶ。例えば東京から新幹線が開通すると、地方の若者はますます東京に出ていく一方、東京から日帰りできるので会社の支店が要らなくなる。作者は名古屋の人だから、リニア新幹線開通による波及効果にでも思いをめぐらしたか。
 だから、作品としては材料だけが生煮えで差し出されたような印象は否めない。しかし、あの少々毒々しい緑色の液体がストローに吸い上げられるのを見て、ああこれだと感心する作者の真顔がへんにおかしい。その真顔は私たちが生きるこの社会に向けられた作者の真顔に相違ないのだ。

  竹皮を脱ぐ乙訓の月あかり       高橋 正子

 乙訓(おとくに)は京都の西山にあたる地名。言わずと知れた筍の名産地である。放置されて竹の密生した竹藪と違って、あの辺りの竹藪は十分に間隔を置いた竹がまさに琅をなす。だから地面に落ちる竹の影も明らかに月の光が惜しみなく入る。

  涅槃西風乙訓の藪きよらなり         湘子

 湘子のこの句とも唱和して、地名の美しさを少しも損ねず美しい光景に転じてみせた。

 

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