今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  背泳ぎの白き腕や夜の新樹       太田 明美

 都会の屋内プールの小景であろう。クロールや平泳ぎではこの句の中七は生きない。背泳ぎだからこそ女の腕の内側の日焼けを知らない白さが見える。そこにまず発見がある。
 しかし、発見はそれにとどまるものではなさそうだ。天井を一心に見つめ、腋もあらわに高々と腕を振り上げては水を掻く。そのどこか誇らしげな姿は女そのものの表出だとも感じられる。他人である女の姿はいつしか作者自身の泳ぐ姿、さらには生きる姿とも重ねられる。清潔さは保ちながら、この句には意識の底の媚態が現れているようだ。そうした印象はすべて下五に置かれた夜の新樹がもたらすものだろう。

  少年に擬傷の雲雀落ちにけり      川上  登

 地上に巣を営む鳥には、敵が巣に近づくと傷つき飛べない仕草をして敵を巣から遠くへ導こうとする習性がある。それを擬傷と呼ぶ。知らず知らず雲雀の巣に近づいた少年に対して親鳥が擬傷行動に出た。いや、少年はそもそも雲雀の卵を盗みに来ていたのかもしれない。
 少年と雲雀の親鳥。さまざまな寓意の入口を持った句だと思う。そこには作者自身の多感な少年時代が色濃く映し出されているように感じられる。

  ハンカチの白にたとへて弔詞かな    加藤 静夫

 老いてなお楚々とした女性であったか。あるいは清廉な仕事ぶりを通した男であったか。参列者の代表が人となりをハンカチの白さに喩えてその死を悼んだ。
 実物のハンカチではないから季語にならないなどと言う必要はない。あくまでハンカチが季語である。暑い日の葬式なのだろう。参列する多くの人が白いハンカチで汗を押さえている。そんな情景を目に浮かべてよい。すっと涼気が立つような心に残る弔詞だったに違いない。

  八荒の波の尖りや巫女秋沙       吉村 東甫

 比良八荒も巫女秋沙(みこあいさ)も俳句の世界に入らなければ一生知らずに終わった言葉だったかもしれない。俳句を通してまず美しい言葉を知る。そしていつか、その美しい言葉を与えられた物にまみえる。俳句を続けていていちばん心躍る時間である。だから作者は琵琶湖がするどく波立つほどの寒風も何するものぞと感激に浸っているはずである。

  朝寝して象のはな子と同い年      干きん子

 戦争中の猛獣処分により日本の動物園から象は姿を消した。戦争が終わって最初に日本にやって来た象がはな子である。上野動物園で人気を集め、今は井の頭動物園で暮らしている。はな子は昭和二十二年生まれ。日本人で言えば団塊の世代だ。作者は終戦後のベビーブームの中で生まれた。戦後という時代をともに生きてきたことがはな子に親しみを覚えさせるのだ。
 はな子についてインターネットで調べていると、はな子と自分は同い年だと記すブログがいくつもあった。「象のはな子と同い年」という感想は作者オリジナルではなく団塊の世代に広く共有されるものなのだ。そのうえで俳人たる作者の手柄は社会からのリタイアを匂わす「朝寝して」にある。

  降る雪や明治は遠くなりにけり     中村草田男

 比べるには相手が立派過ぎるが、「明治は遠くなりにけり」という感想も時代が共有する空気だった。草田男は「降る雪や」の上五を据えてこれをわが俳句にした。俳人には感想を詩にする季語という頼もしい武器があるのだ。

  寝ころべば空あふれけり仏生会     山下 桐子

 寝ころんで空を見上げるとなれば啄木の歌に止めを刺す、と誰もが思ってきた。

  不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心
                            石川 啄木

 名歌名句を前にするとそれ以上の表現はあり得ないのではないかとあきらめてしまう。しかし、勇気をもって踏み込んでみれば、その壁は蹴破れないものではないのだ。
 寝ころんで見上げた空があふれてくるという感覚は、啄木の詠ったこととは反対だが、青空の量感を伝えて力強い。啄木の空とは別の作者自身の空がここにある。

  しやぼん玉椅子重ねある教室に     堀口みゆき

 すぐれて映像的な一句である。この教室に生徒の姿はない。そうは書いていないけれど、そう思えるようにできている。椅子は重ねられ、机とともに教室の隅に寄せられている。放課後なのだろうか。校庭から聞こえてくる生徒の声が、かえって教室の静けさを感じさせる。ふいに窓から風にのって石鹸玉が這入りこむ。それがまた静けさを際立たせる。

  交番に首さし入るるさくらかな     安藤 辰彦

 「首さし入るる」、さもありなんと笑えるユーモラスなスケッチである。花見に来て道を尋ねているのだろうか。国家権力に対する小市民の感情まで写生されている。

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