今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  冬靄の深きにわが家わが帰る      日向野初枝

 鷹の句会で採った句には鷹集の選句でもう一度会う。その一か月ほどの間に一回り大きくなる句がある。掲句は今年の新年句会で採ったが特選・秀逸には選ばなかった。ところが再会してみると私の胸ぐらをむ勢いで印象新たに迫ってきた。こういう経験はこれが初めてではない。
 作者が日向野さんと知れて関東平野の奥深くある土地がイメージされたことも影響しているようだ。「深き」が冬靄の濃さだけでなく、むしろその奥行きを思わせるのだ。そこに帰るべきわが家がある。フの音の重なり、ワの音の重なりも一句の調べに重層的な厚みをもたらす。
 情景の印象が変わってくると、「わが帰る」の意味もまた変わってくる。出かけた先から帰るということだけでなく、この土地に帰属するのだという意識が滲みだす。

  ふるさとの右左口郷(うばぐちむら)は骨壺の底にゆられてわがかえる村
                              山崎方代

 「わが帰る」の射程には、放浪の歌人方代のこの歌の「わがかえる村」も見えてくるのである。

  松風に吹かれてをりぬ春着の子     荒木かず枝

 こちらは新年句会で特選に採った句。荒木さんの今回の投句では次の句にも感心した。

  室の花人死んで部屋空きにけり       かず枝

 二句並べて読むと、人が生き代り死に代りしてこの世が続いていくことをあらためて思う。春着の子は初詣だろうか、松風の吹く参道を玉砂利を鳴らして晴れやかに歩む。この道はこの子の人生につながっているのだ。片や人が死に片づけられた部屋。サンルーム代りに室咲の鉢が並んでいる。無常と言えば無常だが、なんとなくめでたくもある。作者はつまらぬ感想を言わず読者にまかせているところがよい。

  狐火や蹴飛ばされたる向う脛      野手 花子

 新年句会特選のもう一句。私は狐火を見たことがない。狐火を詠むほとんどの人はやはり狐火を見たことはないだろう。それでもいかにも見て来たように描写する。

  狐火に河内の国のくらさかな      後藤 夜半

 狐火の句では私はこの句が好きだ。下手に狐火を描かず広い闇だけを示したのがよい。夜半の子、後藤比奈夫さんの近著『後藤夜半の百句』のこの句の鑑賞に、「河内の国は私の母の古里。母屋の縁側から時に狐火が見えて怖かった思い出がある」と書かれている。比奈夫さんは大正六年生まれだからまだ昭和になる前のことだろう。
 野手さんの句、すわ狐火と肝を冷やして闇に目を凝らすと突然何者かが向う脛を蹴り上げた。痛みをこらえて起き直るともう狐火は見えない。所詮作者の嘘であれ、誑かされたような気分には狐火のリアリティがある。

  一羽来て連れを待つらし初雀      安藤 辰彦

 正月の庭に一羽の雀がやってきた。「連れを待つらし」は作者の見立てである。といっても単に機知的に見立てたものではない。そこには作者自身が投影されているのだ。

  吾と妻に残る時間や寒卵           辰彦

 もう一句、この句と併せ読めば掲句の見立ても妙にしんみりする。待っても連れの来ない日がいつかは来る。正月のめでたさがかえってほのかなさびしさを誘う。〈春日傘妻は太つてしまひけり〉〈狸失せ程なく妻の戻りけり〉〈虫しぐれ白湯のごとくに妻眠る〉、作者得意の妻俳句も年齢とともに表情を変えてゆく。

  トルソーの腕の断面遠雪崩       島ア 季子

 トルソーは頭部と四肢のない彫像である。美術学校でデッサンの練習のために置かれた石膏像であろうか。しかし、この句のトルソーの周りに人の気配はない。ただ、腕の付け根の荒い断面を凝視する作者の視線だけが感じられる。
 遠い雪崩は現実のものというより作者の想像の域に属するものなのだろう。二つの素材が衝撃し、その深い断層に作者の心理が覗く。シュールな印象の濃い作品だが、島アさんはそういう世界を指向しているようだ。

  寒桜父の大祥忌を修す         石黒 秀策

 一周忌を小祥忌、三回忌を大祥忌と呼ぶ。中国古代の「礼記」に由来するそうだが、それは詮索するまでもない。ともかくこの大祥忌という言葉がこの句を響かせている。寒桜と相まって亡き父の人となり、父と作者の関係が見えてくるようだ。三回忌と置き換えれば違いは一目瞭然。この言葉は俳句に使える、というアンテナを常に張っておくことだ。

  返り花散るとき少し世を恨む      中川 安子

 返り花は特に断りがなければ桜だと思ってよい。青空にことさら白く花をつけた。「少し世を恨む」はじっと観察しているうちにふいに出てきた発想だろう。恨むと言いながらこの世に対する未練が感じられる。日差しにすがりつくように花びらが散りこぼれる。

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