今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  灯ともせば胡桃のなかに風が吹く    加藤よい子

 胡桃にはその内部に別の世界を蔵して私たちの思いを誘い込む雰囲気があるらしい。

  胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋     鷹羽 狩行

 例えばこうした句。割った胡桃に実の詰まっていない空間がある。それを「使はぬ部屋」だと言われると、さっきまで胡桃の中に靴音が響いていたような気がしてしまう。
 加藤さんは割ってもいない胡桃の中に風が吹いているという。頭蓋骨のように堅い殻の中の閉ざされた空間にどうして風が吹くことができるのだろう。しかし、吹くのだと言われると、胡桃ならばそんなこともあるように思える。
 そういえば胡桃の形状は私たちの脳を思わせる。風が吹くのは胡桃の記憶なのかもしれない。胡桃の木が葉を茂らせ、ひそやかな花をつけて、やがて実を結ぶ。その実はやがて地に落ち、その上に落葉が降りつもる。その間、胡桃の木は林を渡る風をずっと聞いてきた。人に拾われ、家の暗闇の中で眠っていた胡桃は、灯がともされると目を覚ます。そして、甦った記憶を風が吹き始める。その風の音に耳を澄ます作者は、いつしか胡桃の記憶の世界に誘い込まれているのだ。

  まだ青き地球種なしぶだう食ぶ     大岩しのぶ

 「まだ青き」というからには、いつか地球が青くないときがやって来ることを予感しているのである。種なしぶどうを配したところに人間社会に対するさりげない批判がある。種を吐き出すちょっとの手間が惜しくて人間は種なしぶどうを作った。しかし、そのぶどうはもはや種の未来を築くことができない。人間とは傲慢なものだ。
 しかし、そんな批判も表わし方はあくまでさりげない。環境問題を報じるテレビでも見ながら、手と口は動き続けぶどうの粒は減っていく。何百年、何千年先に人類が滅んでもさしあたり自分の人生に大きな影響があるわけでもない。人類の危機と現実との距離感が軽やかに描かれている。

  わかりあへず同じ暖炉の火を見つめ   柳 克弘

 一つの暖炉の火に身体をあたためる親密な空間である。だからこそ「わかりあへず」が痛ましい。深くわかりあいたいという強い思いがそこにはある。わかりあえなければそれでしょうがないと済ませられる関係ではないのだ。しかし、すべてがわかりあえるなんて本当なのだろうか。心の底にどうしてもわかりあえないものがあると認めあうことのほうが正しく安らかなのではないか。
 この句は実景であると同時に象徴的な雰囲気も濃い。世界はこの情景のようにわかりあえない関係に満ちている。そしてそれを乗り越えてともに生きていくのだ。

  冬麗やまよひご母を見つけ泣く     兼城  雄

 私も大阪に暮らしていた幼い頃に梅田の阪急百貨店で迷子になったのを覚えている。店員になぐさめられながら私の母に呼びかけるアナウンスを聞いた。
 赤ん坊は不安になればすぐに泣くけれど、幼児はがまんする。そして母を見つけたとたんにこらえていた悲しみが堰を切って泣く。泣くのは安堵でもあるのだ。誰もが胸の奥で覚えているあの感じを作者は冬麗の季語でやさしく呼び戻す。

  木犀や恋のはじめの丁寧語       南 十二国

 うん、うんと昔を思い出して頷く人は多いだろう。今は「おい」で呼びつける古女房だって、初めて逢った頃は丁寧語で話しかけたのだ。もっともこの作者の場合は年齢からして現在進行形の恋なのだろう。冷やかな空気にまじった甘い木犀の香りが恋のはじめによく似合う。

  仕立屋と映る鏡や小鳥来る       西嶋 景子

 仕立てあがった上着に袖を通して鏡を向く。仕立屋が作者の肩口から顔を出して同じ鏡を覗き込んでいる。「ぴったりね」と作者は鏡に映った仕立屋に話しかけ、「お似合いですよ」と仕立屋は鏡に映った作者に応える。その場面が目に浮かぶような的確なスケッチ。季語もよろしい。

  風景のどこからも風革ジャケツ     岩永 佐保

 いかにも北風の吹きすさぶ頃の感じだなと感心した。「風景のどこからも風」というのは強引な言い回しではあるが、このような強引さは新しい表現を切り拓くうえで必要なものだ。身勝手な強引さではない。読者の共感を呼ぶだけの実感を伴っているから独りよがりにならないのだ。

  冬菊や余命知らさず約したる      大東 容子

 約束した相手の余命を作者は医者から聞かされている。しかし、相手はそれを知らない。「来年は吉野へ桜を見に行こうか」「そうね、楽しみだわ」。しかし、相手の余命は桜の季節に届かない。深刻な状況をさらりと詠んで余韻のある中七下五である。実を言うと季語は私が差し替えた。季語は作者の思いそのものだから私は基本的に季語を添削しないのだけれど、中七下五が勿体なかったので今回は特別である。

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