今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  逢ひに行く足を真葛にとられけり    阿部千保子

 恋の句である。しかもかなり切迫している。真葛原をつらぬく一本道をひた急ぐ。ここで逢いに行かなければもう二度とこの世で逢うことはあるまい。風が吹き渡り葛の葉がひるがえる。葛の繁る勢いは道を隠さんばかりだ。蔓に足をとられてあやうく転びそうになる。

  秋風の吹き裏返す葛の葉のうらみてもなほうらめしきかな
                平貞文(『古今和歌集』)

 古歌では葛はその花より葉を詠われた。風に吹かれて白い葉裏を見せることから、この歌のように「うらみ」を引き出す序詞となった。掲句の主人公もまた男の不実を恨む思いに駆られているらしい。真葛の美称を用いて古典の世界からたっぷり情趣を汲み上げた一句なのである。
 なお、葛はかつて飼料にする目的で日本からアメリカに移植されたものの、そのあまりの繁殖力の強さを怖れて今では有害植物として駆除が続けられている。葛は国際的な自然保護団体が定めた「世界の侵略的外来種ワースト一〇〇」の一つにも選定されている。グローバルな視座で見ると、阿部さんの句の恋もまた現代的な凄みを帯びるようだ。

  ヴと震へ掌に来るメール夜のプール   安藤 辰彦

 ホテルのプールだろうか。ひと泳ぎしたあとデッキチェアに身を横たえる。手にはマナーモードにした携帯電話を握っている。来るはずのメールを待っているらしい。取引の成立を知らせる部下からのメールか。あるいはまもなくこのホテルを訪ねてくる恋人からのメールか。
 「ヴ」が凝っている。「ブー」ではこの句の孤愁は消えてしまう。「ヴ」のわずかな震えが作者とこの世をつないでいる。「ヴ」がなければ作者はこの世に存在しないに等しい。裏を返せば、作者の存在などせいぜい「ヴ」なのだ。

  母の居処打つ悪い子や亥の子唄     長谷 静寛

 子どもたちが家々を回り、数え歌に合わせて藁の棒で地面を叩く。地域によってやり方はいろいろだろうが、作者の住む五島列島の亥の子はそんなところなのだろう。この家の子らしい小さな男の子が母親のすきを見て尻を棒で叩く。「こら、悪い子だよ」と叱られて「わーっ」と逃げ出す。居処は古い女房詞で尻のこと。御居処という言葉が生きていた時代のなつかしい母と子どもが描かれている。

  口にして草の名美しき子規忌なり    永島 靖子

 画家の中村不折から聞いた西洋絵画の写生の理念を持ち込んで俳句革新を成し遂げた子規だが、亡くなる年の病苦の中で慰めとなったのは絵筆をとっての写生であった。八月には十五点の絵からなる「草花帖」を描き上げた。亡くなったのは一か月後の九月十九日である。
 掲句は草花好きだった子規の最晩年の姿に思いを寄せている。秋の七草をはじめとする千草の名が唇をよろこばせる。

  二の腕に袖口の影避暑名残       宮田 逸夫

 ゆったりした麻の開襟シャツでも着ているのだろう。若い頃は子どもに力瘤を見せてやったものだが、老いた今は痩せて棒のような二の腕だ。半袖の袖口がその二の腕に影を落とす。若者の腕でも女性の腕でもない。避暑名残の季語と相まってそこには人生の名残を静かに肯う風情がある。
 〈秋の駅ててかつぽうと鳩時計〉〈枕辺に来てふいりりと草ひばり〉などこの作者らしいオノマトペのもたらすそこはかとない寂しさが掲句と共振している。

  母の忌を修すホテルの菊膾       上山 育美

 何回忌だろうか。母の法事のために久しぶりに親戚が集まった。寺で法要を済ませた後、ホテルに場を移して皆で昼食をとる。窓の明るい椅子席で和食をいただく。小鉢の菊膾の彩にふと母を思い出す。
 今の法事ってこんなものだなあと思う。なごやかなその席に母がいないことをあらためて実感する。

  農場のノートパソコン鳥渡る      清田  檀

 俳句に出てくる農業従事者の平均像は、胼胝のある節くれだった手をして、鉛筆書きの農日誌をつけている。しかし、農業従事者の高齢化が進み世代交代は避けられない。TPP交渉の行方次第では国際競争の中で生き残りをかけて経営しなければならない。そんな時代、農場にノートパソコンがあっても何ら不思議ではないだろう。気候の変化、作物の生育状況、市場の動向などを日々チェックする。材料と季語だけを配して時代背景を引き出した一句である。

  かなかなや二人暮しの光熱費      高嶺 みほ

 子どもたちはすでに巣立って夫婦二人の年金暮らしというところだろうか。二人だけのつましい暮らしでも、熱中症にならぬようエアコンは使うし毎日風呂もわかす。意外とかかるものだと明細を眺めるのだが、そうして光熱費が出ていくことが無事に生きている証のような気もしてくるのだ。

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