今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  苦参(くらら)咲く磧に雨や晴子の忌   岸  孝信

 忌日は行事の季語である。本来は忌日に故人を偲ぶ行事が催されてこそ歳事になる。しかし、いつしかひとりその人を心に思うことも忌日俳句として詠まれるようになり、むしろそれが主流になった。行事を離れた忌日俳句はきわめて個人的なものである。読者の共感を得ようとあせらず、まずは作者自身の気持ちに素直になることが大切だと思う。
 苦参はマメ科の植物でクサエンジュの別名がある。黄緑がかった白い花はそれなりに目立つが、どこかそのことを恥じているような風情がある。作者はそんな花の咲く雨の磧に晴子さんの面影を見た。晴子に苦参の句があるわけでもない。ただ、作者がそう感じたまでのことである。
 にもかかわらず、私はこの句を晴子さんらしいと思う。作者の素直な気持ちが作品を通して素直に伝わる。観光とは無縁の場所を一人で吟行した晴子さんのスタイル同様、作者自身の足で見つけた晴子忌の風景だと思うのだ。

  蚊を打つて文殊の智慧をたのみけり   石原由貴子

 文殊菩薩は仏の智慧を象徴する。智慧とは煩悩を払って悟りを開く叡智。煩悩に苦しむこの句の主人公は一心に文殊菩薩に祈るのであるが、煩悩そのもののように蚊がまとわりつく。座禅の警策は文殊菩薩の手なのだとか。蚊を打つ響きは自らを励ます警策とも見える。
 作者は仲間と日本三文殊の一つである天橋立の智恩寺を詣でたらしい。その甲斐あっての嘱目なのだが、背景を離れれば「三人寄れば文殊の智慧」とばかりに仲間で無い知恵を絞り合っている場面とも読める。仏教の聖と俗に通じた石原さんらしい間口と奥行のある作と感じた。

  片白草魚に声のなかりけり       大西  朋

 なるほど魚には声がない。しかし、それだけだったら理が勝った句という印象を拭い難い。手柄は片白草の取り合わせに尽きると思う。これによって一句は理屈ではなく描写になったのだ。鮠とかとかのコイ科の淡水魚を想像したい。時折白い腹をひらめかして音もなく翻りながら水中に群れている。水辺の片白草が魚たちの様子をそのまま写したようみ見える。半夏生と言わず別名の片白草を用いたことも効果的。水辺の涼味を捉えて、どこか幽邃な気分の漂う一句である。

  手をひかれ屏風祭の路地を尋む     辻内 京子

 京都の祇園祭を一名屏風祭ともいう。宵山の間、古い町屋では代々伝わる屏風を通りから見えるように飾るのだ。あかあかと灯る家を覗き込むと屏風の向こうで家の人が夕餉の卓を囲んでいたりもして、ちょっと不思議な気分である。
 この句の背景には幼時の記憶があろう。恋人(夫でもよろしい)に手を引かれて屏風祭をめぐると、親に手を引かれて歩いた幼時の記憶がフラッシュバックのように閃く。時間がぐるぐる巡るような感覚が屏風祭の気分に似合う。

  峰雲の蒙古(むくり)高句麗(こくり)の膨れやう  山地春眠子

 蒙古高句麗はおそろしいもののたとえ。元寇を「蒙古高句麗の鬼が来る」と恐れたことに由来する。掲句はこれを峰雲の形容に転じたみせたわけだが、「むくりこくり」がオノマトペのように聞こえると同時に、雷雲の成長に大船団の来襲のイメージが重なって鮮烈な効果をあげている。山地さんの術中に素直にはまって楽しみたい一句。

  籠枕母よく眠る山河かな        経塚 暎章

 老いた母が風通しのよい座敷で眠っている。籠枕がいかにも心地よさそうで、寝返りを打つこともなくすこやかな寝息を立てている。しかし、下五に「山河かな」と置いてこの句は異観を呈する。まるで山水画の世界に仰臥の母が浮かび出たようだ。その母の眠りは永遠のものとも思われる。母の眠りを安かれと願う作者の祈りが読みとれるようだ。

  短夜の夢より戻る銀の櫂        阿部千保子

 夢の終わりを象徴的に詠んだ句である。そういう点で藤原定家の名歌「春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空」の系譜に連なる一句と言える。
 短夜の夢に何を見たのかは書かれていないが読後の余韻は甘美だ。現実ではけっして叶わない願望が夢の中では叶えられる。銀の櫂とはシンデレラの靴のようなものなのだろう。いわば大人のお伽話の一場面。朝靄の立ちこめた川面を夢の世界から現実の岸へと作者は静かに舟を漕ぎ進める。

  串揚のソースしたたる大暑かな     羽村 良宜

 串揚の本場は大阪、とりわけ通天閣の立つ新世界あたりだろう。ソースは卓上の平たい器に湛えられ、客はおのおの揚げたての串をそこに突っ込んでから頬張る。ソースは共用だから一度齧った串をまた器に入れてはいけない。いわゆる「二度づけ禁止」のルールである。となれば、一度でしたたるほどたっぷりソースをしみこませる。そんな倹しい庶民性が滲み出た大暑の句なのだ。

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