今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  臨津江(イムジン)の青き月夜を漕ぎ出でぬ 志田 千惠

 臨津江は南北朝鮮の国境地帯を流れる川である。遊覧船で風光を楽しむこともできるそうだから、ソウル観光のついでにでも足を伸ばしたか。この川を詠むとなれば、作者はそれが民族分断の悲劇の象徴であることを意識せずにはいられないだろう。一九六七年にデビュー曲「帰って来たヨッパライ」を大ヒットさせたザ・フォーク・クルセダーズが第二弾シングルとして用意した「イムジン河」は政治的配慮から発売中止になった。そういう川なのである。
 特別な意味をまとった固有名詞をあえてムード歌謡の一節のような甘美さで詠みきったのがこの作者らしさなのだと思う。尖閣諸島や竹島の領有権争いが世間を騒がせているが、祖国の真ん中に国境ができたことの悲しみは、私たち日本人にはわかりはしない。なまじ同情してみせてもどこか空々しい。志田さんはそう思ったに違いない。
 不思議なことに、この句の徹底した甘さは、かえってかの民族の悲しみを香らせる。例えば国境に隔てられた恋人が死を賭して小舟を漕ぎ出す場面を想像してみる。そういう味わい方がよいのかどうか迷いながら書いているのだが、書きながら私の印象はだんだん確信になりつつある。

  月光に山征きにけり新豆腐       奥坂 まや

 雄渾な幻想である。「征」の字を当てたのはそれが出征を連想させることを当然意図してのことだろう。
 私たち民族の記憶に太平洋戦争ほど深く刻みつけられたものはない。民族の記憶はその民族の暮らす土地にも記憶として染み透るのだとこの句は思い至らせる。谷の奥まで拓かれた田畑ときれいな水、新豆腐の季語は、民族の記憶を刻みつけた山河の賜物として置かれている。

  鶏頭の手荒く抜いてありにけり     三代寿美代

 ためしに上五に他の植物をあれこれ置いてみる。そしてついに作者の前にシャッポを脱ぐ。この句に鶏頭に勝る上五はない。つまりこの句は鶏頭の本質をみごとに射抜いているということだ。
 三代さんは鷹新葉賞を受賞した後も世間に対するやり場のない思いをぶつけて小気味よい句を詠み続けているが、堂々巡りの印象もなきにしもあらず。この句のような物そのものの強さはその突破口になるだろう。写生に徹しながら、実は三代さんの作品世界が色濃く投影されている。

  鉦打つて己はげます鉦叩        藤村 昌三

 今年は虫の声をよく聞いた。庭に面した寝室の戸を少し開けて寝ると、さまざまな虫の声が聞こえる。鉦叩だな──小さな音だが、他の虫のにぎやかな声にまぎれることもなく粘り強く鉦を打っている。「鉦打つて己はげます」とはなるほど鉦叩らしい。その鉦叩の姿に自分自身を重ねようとする作者の気持ちもよくわかる。

  山霧や旅の一座の去るごとし      細谷  薊

 比喩の句、それも「ごとし」を用いた直喩である。俳句で比喩が成功する確率は実際のところかなり低い。比喩の成功には意外性と納得感の両立が欠かせない。しかし、ほとんどの場合、喩えるものと喩えられるものの関係が常識的だったり観念的だったりして読者を満足させない。
 山霧が立ちこめている。木立を縫って音も立てずに流れているのだろう。その情景がまるで旅芸人の一座が去るようだというのは、作者の直感を思い切って叙したものだ。意外な比喩である。しかし、私は十分に納得感を得た。
 例えばこんな比喩の句がある。

  雪の日暮れはいくたびも読む文のごとし  飯田 龍太

 戯れにこの素材を「いくたびも文読む雪の日暮れかな」とアレンジしても句になる。取り合わせが成り立つ関係をあえて直喩の関係にすると意外なのに納得できてしまう。龍太の句はそういうレトリックを駆使したものだが、細谷さんの句を読み解く鍵もそのあたりにあろう。

  稲雀投網打つごと飛びたてり      梶塚 葵風

 比喩の句をもう一つ。こちらはシンプルな比喩だ。稔田から雀たちがいっせいに飛び立つ。パッと四方に散ったその様子がちょうど漁師の打った投網のようだった。形状が似ているという比喩は常識的になりやすいのだが、この句の比喩は意外性十分。理詰めでは出てこない発想だからだ。

  品書も箸割る音も秋めきて       天野 紫音
  芝刈るはあと一回か秋めけり      村山 景子

 日常のどんな場面で秋の到来を感じるか。天野さんの句は行きつけの小料理屋だろうか。品書に秋らしいものが増えたなと眺めると、割箸を割る音も夏とは違って聞こえる。年中同じメニューのチェーン店では得られない実感だ。
 村山さんの句も秋めいてきた印象あざやか。まだ青々とした庭の芝生がひんやりと露に濡れている。あと一回かと思うと、炎天下の芝刈の苦労さえなつかしい。

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