今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  川に秋きざす故友を訪ねけり      今野 福子

 故友とは古い友人である。久しぶりになつかしいその友を訪ねるのだ。どんな顔で私を迎えてくれるだろう。話したいことはたくさんあるが、まずは静かに酌み交そう。
 「川に秋きざす」の叙景がよい。作者と友人、それぞれの人生を歩んできた。会おうと思えばいつでも会えるのに、お互いの多忙がなんとなくそれを妨げていた。しかし、もう二人とも若くはない。先を急いで生きる年齢ではなくなった。再会するにはちょうどよい時期だろう。そんな心境をも窺わせる「川に秋きざす」なのだ。
 日本の詩歌は男女の恋や肉親の情を詠うことには熱心だが友情にはつれなかった。友を思う心は男子の文芸たる漢詩の世界のほうがずっと豊かである。だから掲句には漢詩の香りがある。そしてその作者が女性だというところが興味深い。それが現代ということなのか、あるいはほかならぬ今野さんだからこそと言うべきか。

  三更の月やぼゆんと鯔跳ぬる      宮田 逸夫

 「ぼゆん」という擬音語に、物憂いような、それでいてどこかユーモラスな味わいがある。三更だから日付も変わろうという深夜、静かな入江に鯔が跳ねたのである。その余韻とともに、月明かりに広がる波紋まで見えてきそうだ。言葉を磨き込めば、なんでもない風景を手掛かりに、こんな仙境に遊ぶこともできるのである。

  南瓜割る構の妻に呼ばれけり      山地春眠子

 俎に据えた南瓜を割ろうとして包丁をエイッと入れたものの二進も三進も行かなくなったらしい。呼ばれて台所を覗くとその状態のままの妻が振り向く。ラジカルな言葉の遣い手である山地さんにしては大人しい表現だが、過不足のない措辞の手際のよさには感嘆するほかない。
 微笑ましいこの句に余計な感傷は無用ながら、山地さんは奥さんを亡くして久しい。午睡の夢に聞こえた妻の声であったろうか。

  かなかなや女性の寿命世界二位     井原 悟美

 二〇一一年の日本人女性の平均寿命は前年より〇・四歳縮んで八五・九歳になった。これまで二十六年続けて世界一だったのだが香港に抜かれて二位に落ちた。ニュースを詠んで佳句になることなど稀だが、この句はあまりにもニュースそのままのぶっきらぼうさが、蜩の取り合わせと相まって不思議な読後感を残す。
 いよいよ日本の凋落と感じるか、二番でいいじゃないかと開き直るか、あるいは自分はそんなに長生きしたくないと思うか。寿命が縮んだのは、東日本大震災で多数の犠牲者が出たことと若い女性の自殺が増えたのが原因だそうである。そのことも作者の頭を過っていたに違いない。

  をみならは出世思はず盆踊       うちの 純

 立身出世は男のもの、女は内助の功よろしく男を支えればよい。日本人女性の大半はそう思って生きてきた。年に一度の盆踊は、そんな女たちの待ち遠しい娯楽だったのだ。
 しかし、世の中は変わった。女性も男性と同じように高学歴を身につけて社会でキャリアを積む。「をみならは」と言いながら、それは作者を含むかつての女たちなのだ。作者はそうした古い女たちの生き方に郷愁を覚えるのだろう。

  秋暑し脱原発の筵旗          上杉 游水

 福島の原発事故以降、原発廃止を訴えるデモが次第に勢いを増し、東京で何万人もの人々が参加するに至った。福島の悲劇を繰り返すまいという素直な市民感情が堰を切ってあふれ出したのだ。しかし、ニュースで映し出される参加者の多くはコンサート帰りのような穏やかな顔をしている。
 この句の「筵旗」から何を読み取るべきか。立ち上がった市民の力を讃えているのか、あるいはそのあまりの素直さをいぶかしんでいるのか。ジャーナリズムに身を置く作者の複雑な思いを汲み取って味わいたい。

  盆提灯畳みひとりとなりにけり     鈴木 照江
  月涼し父の遺せし金蘭簿        太田 明美

 お盆が終わってまた一人に戻ったというのも、父が何々を遺したというのも、多く詠まれて手垢のついた材料である。類想を離れて自分自身の句にする鍵は何か。鈴木さんの句は盆提灯を畳むという動作が、太田さんの句は金蘭簿という言葉が、それぞれの思いにオリジナリティをもたらした。

  バリウムの白き排泄小鳥来る      藤咲 光正

 こんなものまで俳句にするか、という印象は否めない。胃の検査のために飲まされたバリウムは真っ白なまま排泄される。自分の体温を感じさせないその冷やかな白さに、作者はしみじみと秋を感じたらしい。それは人生の秋でもあるのだろうけれど、その秋を表すために選ばれた季語のなんといじらしいことか。

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