今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  天神祭肌に夜風の取り縋る       石原由貴子

 天神祭は大阪天満宮の祭礼。大阪を代表する祭であり、なかでも七月二十五日の船渡御は水の都らしい趣がある。
 さて、行事の季語を詠むのはなかなか難しいものだ。行事を知る人には当たり前、知らない人にはわからないという類の句が多い。報告に終わらず行事の本質を伝えるとなると、着眼と描写の鮮度が決定的に大事になる。
 掲句は素肌を吹く夜風に的を絞り、それを「取り縋る」と描いた。この一語が鮮やかだ。大阪はうだるような暑さである。それでも夜になってほんの少し涼気を帯びた川風が肌を撫ぜた。取り縋るのは夜風ばかりではない。しつこく鳴る早鉦や切れ目ない人の流れ、そしてそこから聞こえる大阪弁なども取り縋る。さらに言えば文楽の本場の義理人情にまで射程の届く「取り縋る」なのである。それが行事の本質をむということだ。

  災禍の町に賃金得たり立葵       榊原 伊美

 東日本大震災から二年目の夏を迎えても、復興はまだこれからだというのが被災地に暮らす人々の実感だろう。国の予算で工事が進んだだけでは復興とは言えない。本当の意味で被災地が復興するためには、働き口となる産業の復興が不可欠だと誰もがわかっている。「絆」だけでは暮らし続けることができないのだ。
 その被災地でやっと給料を手にした。これでこの町に暮らしていけるという喜びが立葵の力強い明るさに表れている。震災詠の当座の熱気が冷めても、被災地の人々が生活を取り戻すまでの肉声を俳句を通して聞き続けたいと思う。

  死亡退院一名朝顔のひらき       加茂  樹

 病院からの退院には二種類ある。一つは生存退院、もう一つは死亡退院である。私たちが日常使う退院という言葉は、生きて家に帰る前者を指す。生存退院だの死亡退院だのという言葉にはなじみがないが、医師である作者には、むしろそれらが日常の言葉なのだ。
 病院の夜勤明けに朝顔が開いた。昨日死亡退院一名──人なつこい患者の顔がふと浮かんで消える。専門用語は時に既成の情緒の手垢にまみれない新鮮な叙情をもたらす。

  時間みな吾のものなり釣忍       喜納とし子

 これまでは大半の時間を家族のために費やしてきたが、やっと自分のために使えるようになった。その自由を謳歌する句とも見える。しかし、これは一種の反語なのだとすぐに気付く。作者が訴えたいのは、時間がすべて自分のものになってしまった寂しさなのだ。
 釣忍の季語は虚子の次の句を思い出させる。

  自ら其頃となる釣荵             虚子

 時間はそこに暮らす人たちを置き去りにして流れる。そんな時間の非情さが喜納さんの句の陰翳になっている。

  落し文土塊と日のにほひせり      佐藤 祥子

 落し文という名は誰がつけたのだろう。みごとな命名だが、おかげで私たちはその呪縛から容易に逃れられない。この名の雅趣の範囲で作ろうとしてしまうのだ。
 それを見事に裏切った掲句の率直さに降参する。拾い上げて嗅いで見ると、なんのことはない、土と日の匂いがするだけだ。さもありなん、痛快な句である。

  出水川下駄渦巻いて消えにけり     渡辺 京子

 今年も各地で豪雨災害があった。渡辺さんの住む日田でも河川が氾濫して大きな被害が出た。避難所へ向かう傍ら、濁流に大きな渦が巻く。下駄が一つ、渦をゆっくり廻ったかと思うと、その中心にすっと飲み込まれていったのだ。
 この出水も季語だと心を奮い立たせた作者に敬意を表したい。圧倒的な自然の猛威が眼前に迫る中で、下駄だけに絞って成功した。はたして下駄の持ち主は無事なのだろうか。赤い鼻緒の残像がいつまでもまなうらに揺曳する。

  香水やエスカレーター交差せる     吉田美沙子

 エスカレーターは階と階の中間で上りと下りが交差する。そのあたりですれ違った人の香水がふっと匂ったのだろう。冷房が効いてまだ人もまばらな昼下がりの百貨店か。
 事情はそんなところだと思うが、交差するエスカレーターと香水という材料を取り合わせるだけで読者に委ねた。「ああ、そういうことか」と気づく楽しみを読者に残しているのだ。簡潔な構成に、案外したたかな意図が見える。

  釣堀に嫁の弁当ひらきけり       前原 正嗣

 たまに釣堀に出かけるのが楽しみの余生。嫁が持たせてくれた弁当を開く。孫の弁当のついでだから、おかずはハンバーグや唐揚げ。それでもコンビニの握り飯をかじる周りの仲間には自慢したくなるのだ。さざなみの照り返しがアルマイトの弁当箱を、そして作者の余生をまぶしくする。
 やっと男性作者の句が出たところで今月はここまで。

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