今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  田の上の風はつめたし蚊喰鳥      大西  朋

 夏の夕暮の田舎道を歩く。まだわずかに明るい空に蝙蝠が飛び交う。農道のアスファルトも路傍の茂みも昼間照りつけられた熱(ほて)りを残している。立ち止まると草いきれに息が詰まりそうだ。ところが畦道に立ったとたん、水を張った田を吹き渡る風が心もちひんやりと冷たかった。うっすら浮かんでいた肌の汗が引いていく。
 言われてみれば多くの人が経験していることではないか。ところが、なぜだか皆こぞって昼間の熱りが残っているという切口で詠む。この句のよいのは、皆が詠む熱りのほうは読者の連想にまかせて、吹き抜ける風の冷たさを言ったことである。人の発想についていくのではなく、自分自身の感じたことに素直に、飾らずに詠む。そうしたよさを教えてくれる句だと思う。

  客引の業平作り曼陀羅華        大野  満

 盛り場で声をかけてきた客引の男が、息を飲むほど美しかったのである。業平作りとは業平のような美男子だということ。客引と業平のイメージの落差がまずは見どころだ。
 季語も凝っている。曼陀羅華はチョウセンアサガオ。夕方から白いラッパ状の花を開き、強い芳香と猛毒がある。妖しげな店に似合いそうな花だ。それと同時に曼陀羅華は仏教で天上に咲くとされる花でもある。この句はその両方の意味を二重写しにしている。作者には男の美しさがふとこの世ならぬものかとも思われたか。

  挿してあり満開の図の種袋       島田 星花

 花の種を蒔いたあと、目印代わりに種袋が土に挿してあるらしい。それだけだったら材料としては平凡の域を出ないが、作者はそこでもうひと頑張りした。そういえば種袋に印刷された絵は必ず満開。そこに目をつけておもしろくなった。
 こうして何かを言い足せばそのぶん字数を使う。無理して詰め込めば調べが悪くなる。この句は種を蒔いたということを省略した。省略してもわかるからである。これで一句の調べは俄然よくなった。俳句には引き算が大事なのだ。

  なにするでなくて楽しき素足かな    越前 春生

 夏を迎えた心地よさに満ちた句である。暑さの本番はまだ先、すがすがしさをとどめた時期だろう。靴下を穿くこともなく、一日素足のまま畳を踏み、板の間を踏み、縁側を踏み、下駄をつっかけて庭に出る。何をしなければいけないという拘束とは無縁。この素足の楽しさは、余生の楽しさとそのまま重なっているようだ。

  竹の子や初冠をつけて伸ぶ       水島 瑛子

 初冠(ういこうぶり)とは男子が元服して初めて冠をつけることである。作者の頭にはおそらくずっと、

  むかし、男、初冠して……

という「伊勢物語」の書き出しが宿っていたのだろう。勢いよく伸び始めた筍の穂先を見て、初冠の言葉がすっと出て来た。よい言葉を体になじませておくことの功徳である。

  静まりて万太郎忌の幕開きぬ      友野  瞳

 久保田万太郎の戯曲が上演されるのだろう。いや、そうでなくてもかまわない。芝居を見に行ってふと今日は五月六日、万太郎忌だと気付き、開演前のしばらくの時間、万太郎の戯曲など思って過ごしたのだ。やがて客席が静まり、幕が上がる。作者の心はたちまち舞台に吸い込まれていく。そうした経過が描かれてしゃれた万太郎忌の一句になった。

  春灯やむかし芝居に身を窶し      渡辺小枝子

 芝居の句をもう一つ。成功したほんの一握りの役者を除けば、芝居を生業にして暮らしていくのは容易なことではあるまい。それでもなりふり構わず熱中できた日々を今ではなつかしく思い出す。春灯が懐旧の思いを引き立てる。

  茄子の花親に元気を強ひてけり     藤澤 

 齢をとれば気が弱くなってあれこれこぼすこともあるだろう。子は親を叱るように「元気出しなさいよ」と言う。言ってしまってから、親が必要としていたのはもっと別の言葉だったのではないかと反省する様子が「強いてけり」にうかがえる。あらためて親を見て、ずいぶん齢をとったなと思う。
 さて、五月の中央例会で私は安藤辰彦さんの〈こどもの日原発すべて止まりけり〉に奨励賞を贈った。原発がすべて止まったのがこどもの日だったことは、偶然とはいえ未来に与える重圧を暗示するようだった。社会の出来事に俳句の材料を見出すにはこのような機会を逃さぬ感度がいると思っての奨励賞である。
 ところが、五月二十八日の朝日俳壇に別の作者の〈原子炉の全て止りぬこどもの日〉が出た。詠んだのは同時期でも、相手は新聞俳壇ゆえ早く活字になった。同様の句は他にも詠まれていたかもしれない。だから安藤さんの句を推薦するわけにはもういかないが、奨励賞を取り下げるつもりはない。社会に目を向ける作者の姿勢に対する奨励賞だからだ。

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