今月の鷹誌から秀句の風景


  秀句の風景                小川軽舟

  黒板の歌詞にうたへり聖五月      帆刈 夕木

 ペギー葉山の「学生時代」がヒットしたのは、「鷹」創刊と同じ昭和三十九年である。

  つたのからまるチャペルで 祈りを捧げた日

 三歳だった私に当時の記憶はないが、あれは中学生の時だったろうか、音楽の時間にこの歌を知ってひどく心を打たれた。東京オリンピックで大騒ぎしていた時代に、まだ日本にはこんな純真な女学生たちがいたのだ。
 教師が黒板に歌詞を書き、クラスメートが声を合わせて歌う。掲句が帆刈さんのまだ生まれてもいない頃の「学生時代」を連想させるのは、季語が聖五月だからである。カトリックでは五月は聖母の月。そこから出た聖五月の季語なのだが、あまりに乱雑に使われ過ぎている。この季語のよろこぶ表情が見えるような一句なのである。

  濡れて着く旅信一葉春暮るる      永島 靖子

 小品ながら、まさに佳品と言うべき句。郵便受に入る間際に雨に打たれたのだろう。雨つぶの跡に青いインクがにじんでいる。それだけのことが、葉書の内容以上にみずみずしく送り手の旅情を作者に伝えたのであろう。
 「旅信一葉」という手際のよい言い回し、「春の暮」ではなく「春暮るる」とした語感。言葉に親しんだ長い蓄積がおのずと引き寄せる措辞なのだと思う。

  魚くさき手を洗ひけり蜃気楼      中嶋 夕貴

 蜃気楼は人気のある季語だが、空想的な趣向を競って作られた句がほとんどで、それはそれで楽しいものの少々飽きが来てもいる。だから、掲句の写実性はかえって新鮮だった。日本では富山魚津沖の蜃気楼が知られているので、実景としていかにもありそうなのだ。それでこの季語の空想性が削がれたかと言えばそんなことはない。描写がなまなましく写実的だからこそ、蜃気楼の不思議が際立っているのである。

  足跡に水浸みいづる坐禅草       野尻 寿康

 坐禅草は高地の湿原の植物である。尾瀬では同じサトイモ科の水芭蕉の時期に少し先立ち、雪解とともに咲く。野尻さんが見たのは信州の山中だろうか。下界のぬかるみとは違って、高層湿原の泥炭質の土壌は踏み込んだ後にじわじわときれいな水が浸み出てくる。登山靴の感触がなつかしく蘇るようだ。こうした率直な自然詠は読んですがすがしい。

  鷭鳴くや暮れ落ちて川ほの白し     神谷 文子

 自然詠をもう一句。「暮れ落ちて川ほの白し」という眺めはいかにも夏の夕暮だと思う。鷭は夏の水辺の鳥。水鶏の声ど目立たないけれども、その声には哀愁があり、この句の情趣を引き立てるには打ってつけである。
 余談だが、俳人にゆかりの深い新宿西口の「ぼるが」は「ばん焼」と銘打っている。石川桂郎に連れて来られた若き日の湘子は、「いったい、この店では、ひと晩に何羽の鷭を使うのかねェ」と訊いて、「莫迦ッ、ホントの鷭なんて使うわけがねえだろ」と世間知らずをたしなめられた。


  鏡台の前の座ぶとん荷風の忌      安藤 辰彦
  傘雨忌や下町の湯の熱きこと       酒井 游山

 どちらも浅草ゆかりの句だと言ってよかろう。
 荷風忌の「鏡台の前の座ぶとん」は、『東綺譚』を思うのも悪くないが、私は浅草ロック座の畳敷きの楽屋で裸の踊子たちに囲まれた荷風の写真を思い出す。この句の場面は、ちょうど踊子たちの出払ったショーの最中ではないか。
 傘雨こと久保田万太郎は浅草に生まれ育った。「下町の湯の熱きこと」は浅草あたりの銭湯か。粋な江戸っ子はぬるい湯にぐずぐず浸かっちゃいられねぇのである。
 荷風忌は四月三十日、万太郎忌は五月六日。わずかの違いだが、安藤さんの句は確かに晩春、酒井さんの句は確かに立夏らしく出来ている。

  一人静ですねと一人旅同士       林 めぐみ

 林中の路傍に目立たぬ花の一群を見つけてしゃがみこむ。「ああ、一人静ですね」、通りかかった人が後ろから声をかけた。たぶんそれから暫時会話があったのだろう。互いに一人旅だということも分かった。かといって、それ以上干渉するわけではない。「それでは気をつけて」、「よい旅を」。
 一人静に一人旅という着想は林さんらしい機知だが、情景が目に浮かぶからわざとらしくない。リフレインの効果が余韻として残るのである。

  奥さんと昔呼ばれし桃の花       矢羽田和子

 「奥さん」はいつ頃「お婆ちゃん」になるのだろう。八百屋も魚屋も客商売だから、かなりの齢までは「奥さん」と呼びかける。「お婆ちゃん」になるには相当の年季がいるはずだが、作者はそう呼ばれて久しいらしい。桃の花の取り合わせがよい。奥さんの時代をなつかしみつつも、ここまで生きられた自分を褒めてやっている明るさがあるのだ。

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